大乗非仏説が定説になったかのように喧伝してる人達がいるが、そんなものは一学説に過ぎない。

そもそも釈迦の直筆など存在しないのだから、その意味では全てが「非仏説」なのである。そんな事を言い出すと初期仏典すら釈尊が説いたものかどうかの証明など不可能なのだ。その点では、スッタニパータや原始仏典も含めて、すべての仏典で釈尊の直説であると証明できるものは存在しない。

釈尊の何が尊敬され続けているのか

釈迦が原始仏教・いわゆる小乗の教えしか説かなかったならば、一体何のために釈迦は世に出たというのか。当時のバラモン教よりは優れているだろうが、大乗経のように極めて革命的な内容でも無いだろう。救われる対象も極めて限定的である。そんな人が説いた教えが長期の年月を経てもなお尊敬され続けるものだろうか。

仏教界には各時代に於いて『途轍もない巨人』が誕生している。龍樹・世親・天台・伝教・日蓮といった人達である。一人の人間があれだけ膨大な理論体系を残し偉大な仕事を成し遂げたのだ。しからば仏法の原点である釈尊という人も途轍もないスケールの人間だったと想像ができるだろう。革命的な説法をしたと考えるのが自然だろう。

口伝の偉大さ

現代人は、インドの口伝というものを軽視しすぎる傾向にある。インドでは古来より、宗教の聖典は口伝によって伝承し、文字として残さないという伝統があったのだ。インドでは何百年、或いはそれ以上の時間を経て醸成される口伝など普通である。例えば、中国の法顕という僧侶は、5世紀頃にインドに入ったが、仏典を専ら暗唱で伝えていた、と著書で記している。

別の観点より、口伝の偉大さを考察してみる。キルギスに伝わる民族叙事詩である『マナス』は、口承された数十万行にも及ぶ壮大な民族叙事詩である。古代インドの『マハーバーラタ』などよりもはるかに長い歴史を持つ。大海洋の如き口承叙事詩が口頭で、世代から世代へ、一つの時代から次の時代へと伝えられたのである。時には、サヤクバイ・カララーエフのように、膨大な何百万行にもわたるマナスを記憶している類まれなる詩人が現れている。

釈尊の説法を整理編纂するのは至難の業

第一回の仏典編纂で、長老部が理解できて整理しやすかった内容のみ編纂されたと考えるのが妥当である。理解できず整理できなかった難解な教えは次回以降の編纂に「宿題」として残された。その100年後の第二回の阿含部が中心の編纂と合わせて原始仏教と呼ばれているが、それでさえ説法の内容を口伝で整理するのに100年後まで待たねばならなかったことを考えると、釈尊の膨大で深い説法を簡単に整理編纂できるものではないことが窺える。いわんや大乗経典の難解な説法はさらに時間を要したであろう事は言うまでもない。

釈尊の弟子の中には、初期の仏典編纂に参加できず、地方で独自の活動を展開していた人も相当数いたようである。要するに、大乗は別のルートで口伝で醸成されたと考えられる。

小乗経も数百年を経て編纂されたものがある。つまり長期間の口伝である。

誰が説いたか証明が必須

大乗経を釈尊が説いていないのなら「では一体誰が説いた」と主張するのだろうか。あれだけの膨大な諸経典があり、互いに関連する内容も多いのに、「それぞれ別々の誰か(謎の人)が説いた」と主張するつもりなのだろうか。無理がありすぎるだろう。

要するに、学者連中が自分の理解できる事だけを主張したのが大乗非仏説の正体なのである。

「唯佛与佛」の難解な法門

大乗なかんづく法華経は「唯佛与佛」と書かれる通り、学者の頭では理解できない内容である。それだけ難解な法門を遥かな年月をかけて口伝で醸成されていったと考えるのが自然だろう。釈尊は核心部分を説いたと考えるのが妥当である。

安易で恥ずべき姿勢

そして、こんな陳腐な説を信じ切って「釈迦は大乗を説いていない」だの「定説だから」だのと主張する人達は軽率過ぎやしないか。せめて自分で大乗経典全てを網羅して、諸経典の内容の浅深の整理をしてから判断すべきだろう。それすらせずに「学者が言うから」「正しい教えなどない」という安易な姿勢は仏法を学ぶものとして恥ずかしい姿勢である。


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