(思索メモ段階)
創価や宗門や顕正会の組織活動の現状を見ていると、どれも組織依存の『おすがり信仰』になりやすい傾向がある。だからこそ私は何度も記事にしてきたのだが。

しかし、それぞれの組織で確固たる信仰心を築き上げた人がいる。「グループ活動が楽しい」「池田先生の弟子として創価の活動に邁進して何の悔いもない」「次に生まれても池田先生の元に馳せ参じたい」ここまで言い切る人がいるのである。創価の組織で、このような体験ができ、生き生きとしてるのなら、きっと幸福なのだろう。そのような人は、今いる組織で誇りを持って信心を全うすれば良いと思う。それを否定する事は無いだろう。

組織に盲従する『おすがり信仰』になるのは人間として悲しいが、屹立した信仰心を打ち立てれるのなら、どの組織でも構わないと思うようになった。あくまで大切なのは人間であり、組織は補助に過ぎないのだから。

長年の活動で築き上げた人間関係、思想というものは簡単に捨てたり変更できるものでは無いのだろう。創価は創価思想で、宗門は宗門の思想で絶対に譲れないものがあるのだろう。ならば無理に否定しても逆効果になるのかもしれない。

ただし、各組織の矛盾点。活動内容や教義で明らかにおかしいと思われる所は指摘せざるを得ない。これは変わらないし、信徒の人達は自分の組織を客観視すべきだろう。仏道修行には『純粋な信仰心』と『客観視できる視野』この二つが必要なのだと感じる。


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