かつて創価と宗門は国立戒壇を唱えてきた。戸田会長の時代から『王仏冥合』『国立戒壇』を主張し、それは池田会長の時代になっても同様であった。ところが国会の池田会長の招致問題が起こってから一転して否定の見解に変更した。宗門も同様に見解を変更した。顕正会だけが未だに国立戒壇を主張し続けているのである。この点に限れば、状況が変われば主張をコロコロ変える創価よりも、むしろ顕正会の方が一貫していて筋が通ってるように見える。

いずれも日蓮仏法を根本とするのは同様である。だが、現実社会の中で実践の活動が違ってくる。それぞれが別々の解釈をして、別々の実践行動をして、それが『正義』の行動だと主張をしているのだ。どれが正しい、どれが間違っている、と簡単に判断できるのだろうか。

今や創価の活動のメインは選挙活動である。立正安国論の現代的な解釈と実践行動が選挙活動だと主張しているのである。それが日本の平和につながる『正義の活動』だと指導される。都議選となれば全国の活動家が東京目指して結集して『集票マシーン』となり全身全霊の活動をする。

信徒の視点から見てみると、この組織活動に没頭した人達は何処に連れていかれるのだろうか。何が得られるのだろうか。何が残るのだろうか。一人一人が自分の組織のやっている実践行動が適切かどうか深く思索すべきだろう。


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