ここ最近、しきりに学会員の教学力の低下を指摘する情報が目に付くのだが、果たしてどうなのだろうか。学会員の方々には「そんな事ありません。私は御書の隅から隅まで心肝に染めています。」「どんな法論でも負けないほど仏法理論も培っています。」と胸を張って反論できるぐらい御書の研鑽を進めて貰いたい。

かつて池田名誉会長は「剣豪の如く教学を磨け」と指導された。会員の人達が日々読む聖教新聞や大白蓮華でも御書研鑽のページは必ず掲載されている。よって御書を身近に接しているのは間違いないだろう。

ただし同じ御書の断片を何度も引用している傾向にある。部分的に学んでいるだけだ。それだけでは教学に厚みが出てこない。もっと幅広く体系的に研鑽すべきだ。その観点で十大部は当然ながら他の重要な御書も必修だろう。教学試験(任用・3級・2級・1級・中級)の出題範囲を全て学んだとしてもまだまだ足りない。

私も遥か昔に教学1級まで研鑽したが、その後の教学研鑽により、膨大な大聖人の仏法思想の僅か一部しか学んでいなかった事を思い知った。

もう一点指摘しておきたいのは、会則変更による教義改正部分の確認である。『大御本尊を受持しない』と変更したこと。組織そのものを『創価学会仏』という位置付けにしたこと。日寛教学の取捨選択の示唆『一大秘法』や『六大秘法』をどうするのかの確認等々。ここも徹底的に研鑽すべきであろう。自分の組織がどのような教義解釈をしてるか(変遷の経緯も含めて)把握する事は重要である。


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