以前の 記事1 記事2 でも書いたが、創価・宗門・顕正会。お互いが罵り合い泥沼の抗争が延々と続いている。何とも不毛な抗争を続けているように感じる。それぞれが自らが絶対的に正しいと信じ、相手組織と信徒達を『仏敵』と断定して、「悪を徹底的に攻撃せよ」「極悪と戦うことが極善になる」という姿勢なのである。このような門下同志の醜い抗争を大聖人が御覧になれば深く悲しまれることは間違いない。

もともと創価も宗門も顕正会も正信会も同じ教義解釈なのだから対立してることがおかしいのだ。共に広宣流布を願っているのである。それぞれが組織改善して仲良くやれば良いではないか。

むしろ信徒同士を分断させた組織のトップ達にこそ責任があるのではないだろうか。浅井氏・池田氏・日顕氏。このようなカリスマ的な指導者など必要なかったと考える。信徒の一人一人が求道者で大哲学者であるべきなのだ。自らが主体的に動くべきなのだ。しかし組織主義によって『モノを考えない人達』を多く生み出してしまった。そして組織に言われるがままに動き、相手を『仏敵』と信じ込み攻撃してしまう。何とも悲しいことである。

御書の『一眼の亀』や『優曇華の花』の譬えにもある通り、人間に生まれて大聖人の仏法に巡り合うことの難しさを考えれば、奇跡的な確率なのだろう。その人達がお互いに罵り合い攻撃し合っているのだから、これほど悲しい事は無い。大聖人がどれほど悲しまれるか想像しただけで胸が痛む。「我々は果たして、こんな事をする為に、この世に生を受けたのか?」と、一度深く自分に問うて欲しい。

私は創価の会員の人達も、宗門の人達も、顕正会の人達も、正信会の人達も、皆等しく同志達と思っている。分断・対立の状態から和合僧へと歩みを変えることを願っている。


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