人間にとって純粋さというのは最も大事な要素だと思う。しかし、それが宗教団体に属していると、その感情を利用され、いつの間にか組織人間になり、組織に盲従するようになる。素直に純粋に信じることが何故危険なのだろうか。

婦人部が騙されやすい理由

特に婦人部などは純粋な人が多い、教学的には全然研鑽をしてない人が多いが故に、騙されやすいのだろうか。組織に妄信しやすいのだろうか。理性的に批判する能力というのが足りないが故にこうなるのだろうか。

宗教組織の実像

日蓮系の宗派に限らずに、あらゆる宗教団体で組織の中核をなしているのが、純粋な信徒である。組織に言われるがままに盲従する信徒達。これが宗教組織の実像であろう。洋の東西を問わず、宗教組織は、人間の純粋な信仰心に付け込み、組織に盲従にさせてきた幾多の歴史がある。

前提条件

仮に組織に盲従して、それが良い結果につながるとすれば、それには前提条件がある。その組織の行動が絶対的に正しく、その組織のリーダーが清廉潔白であるという条件が満たされなければならない。

日蓮正宗が『富士の清流』である時期はあったと考える。確実なのは日興上人が法主だった時代。トップが清廉潔白で人格的に優れた指導者であった時代、全面的に日興上人の指導に従っていれば間違いなかったであろう。

しかし、そのような大指導者が常に排出されることを前提としてはダメだろう。その後の大石寺系は俗物のような法主が次々に出てくるのである。そんな法主に「唯授一人の血脈相承」で神格化して絶対服従すると『おすがり信仰』になるのは明らかであろう。

屹立した信仰者とは

常に思索を続け、他の組織との比較を怠らない姿勢が欠けてるが故に、このような妄信に陥ってしまうのであろうか。

望ましいのは一人一人が確固たる仏法哲学を持ち、日々御書を研鑽し、思索を続け、その理念と現実の行動が一致しているかを常に検討し続けることだろう。純粋な信仰心と、常に客観視する視点、屹立した信仰者であるためには、この両方が必要なのだろう。


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