御書を日々研鑽してる中で、大聖人の仏法思想でよく用いられる特徴的な表現語句が出てくる。

「松高ければ藤長く 源深ければ流れ遠し」(聖人知三世事)
「根ふかければ枝さかへ 源遠ければ流長し」(源遠長流御書)
「根ふかければ枝しげし 源遠ければ流ながし」(報恩抄)
「根露れぬれば枝かれ・源渇けば流尽くる」(弥源太入道殿御消息)
「根ふかきときんば枝葉かれず、源に水あれば流かはかず」(華果成就御書)
「源濁りぬれば流浄からず 身曲りぬれば影直からず」(一谷入道御書)
「根露るれば枝枯れ 源乾けば流竭く」(曾谷入道許御書)

大聖人はこれらの『根』・『源』という語句を使った表現を多く用いられている。それぞれの内容によって微妙にニュアンスを変えられている。この表現に大聖人の仏法思想がよく顕れていると感じる。

誤解してる人がいるといけないので説明するが、これらの語句自体は天台の「源遠流長」の表現をアレンジされてる形式になっている。だからといって天台の仏法思想では無いのである、大聖人の仏法思想を顕す表現として数多く用いられてる事を考慮しなければならない。なぜ大聖人が好んで使われたのかを深く思索すべきであろう。ちなみに章安の「取捨宜きを得て一向にすべからず」も数多く用いられてるが、御自身の仏法を語る上で先人の有名な言葉を引用されたのだろう。

大聖人は「久遠実成なくば千二百余尊はうきくさの根なきがごとし夜の露の日輪の出でざる程なるべし」と核心部分の表現に使用しておられる。

何があっても揺らぐことのない確固たる『信心の根』を固めていきたいと改めて思う。

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