創価の活動家や、法華講の活動家や、顕正会の活動家の人達に共通して言えることがある。長い間、その組織で活動を続けているほど強い結束力を持つコミュニティ的な存在が出来上がっているのである。それは非常に居心地のいいコミュニティなのだ。中には『地域そのもの』になっているケースもある。いつも一緒にファミレス等々で食事をしたり、組織イベントも含めて遊びに行ったり、中には家族ぐるみで付き合いがあったり、正月や季節行事とリンクしていたり。長年そのコミュニティの中で生きていると、そこから抜け出すのは難しく、他で生きていくことは考えられない。そのような人が大勢存在しているのである。

特に婦人部の方は、仕事を通じた社会とのつながりが薄いので、なおさら信仰組織でのコミュニティの影響を強く受けるのである。そのような人達に教義論争を持ちかけて論破したところで、負けたからといって組織を出ることはないだろう。論理よりもコミュニティの同調感情が優先されるのである。彼らの組織活動がもたらす結果や意義というものを客観的に批評する姿勢が欠けているのである。

例えば、創価の活動家の人達に、会則変更の矛盾点を幾ら追及しても、開き直って「今はそういう時代ではない」と答えるのだ。彼らは教義的な指摘から組織を出ることはしない。居心地の良いコミュニティがある限り決して出ることはないだろう。

そのコミュニティの中で、役割を与えられて、それを頑張ることによって認められることが信仰の目的になっているのだ。その結果が広宣流布につながり、世界平和につながると信じているのである。

そのコミュニティの精神的な柱になっているのが『永遠の師匠』や『御法主上人猊下』や『浅井先生』という偶像である。

願わくば、日蓮仏法を信仰する同志として、組織依存の『おすがり信仰』から目覚めて、一人一人が屹立した信仰者として歩んで欲しい。


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