昭和31年の大阪の選挙戦に関して、長年、自分がずっと抱き続けていた『違和感』を文章化してみる。

資質に疑問がある候補者

この昭和31年の大阪の選挙戦とは、国政選挙の大阪選挙区での創価組織あげての選挙戦である。擁立したのが白木義一郎氏、元プロ野球選手で政治経験が全く無し政治の知識も無し。こんな人を国会議員にしようとした戦いなのである。(この時点で既に人選に疑問符がついてしまうのだが、人材がいないならば止めておけばよかったと思うのは私だけだろうか)

美化エピソードの筆頭

この『昭和31年』は創価の会員なら知らない人はいないほど有名で、大百蓮華や他機関誌に何度も特集されている人気のテーマである。池田参謀室長の伝説的な活躍。伝説的な指導。池田参謀室長の指導がいかに凄かったか、一念が凄かったか、気迫が凄かったか、等々を、当時の関係者達が『証言者』として次々に登場する形でエピソード形式で語られるのだ。創価の美化エピソードの中でも最もデコレーションされたものだろう。選挙が近くなると、このような記事を見て、会員の人達は「大勝利をもって先生にお答えしよう!」と奮起するのである。

池田名誉会長自身も、後年スピーチ等々でこの選挙戦を振り返り『“まさか”が実現 』(当時の一般紙の見出し)のフレーズを強調しているぐらい創価の歴史にとっても重要な位置づけなのだろう。

ただの集票行動

しかし、よく考えると、結局のところ、会員達は友人・知人達に選挙のお願いに行くのである。「あなたの選挙権を使って自分たちの候補に入れて欲しい」というお願いに行くのである。ならば、政治の話をもっともっとしなければならないだろう。お願いする本人も政治の勉強をもっとしなければならなかった。

しかし実際は、折伏や組織活動が主体であり、政治の勉強など微塵もしていないのである(折伏は尊い行為であるが別次元であろう)。総責任者の池田参謀室長が政治の勉強や話を全然していないのである。そりゃその下の人達もそうなるだろう。その弊害が出てくるのも当然であろう。

人間革命にも記述されているが、当時の障碍者グループがガソリンスタンドの前に整列をして各々が首から候補者のポスターを吊るして立ち、道行く人達に呼びかけたのである、これは明らかな公職選挙法違反である。幸いにも、この件は注意で済んだようだ。

だが、その弊害の最たるものが顕れる。昭和32年の『大阪事件』と呼ばれる事件である。選挙期間中に有権者を買収する公職選挙法違反をして逮捕された会員が出たのである。もしも政治の理念や民衆の権利などをしっかり勉強していく運動であったならば、このような事が起こるはずもない。そういう事をちゃんと教えなかったばかりに、会員達は勝利至上主義に走り「とにかく勝たねばならない」と気が流行る余りこういう行動を起こしてしまったのではないだろうか。

自由民権運動のように

この組織活動の指導の時間の代わりに「みんなで今の政治に何が必要か考えよう」じゃダメだったのか。今の政治に足りないものは何なのか。民衆の権利とは何なのか。政治を監視するとはどういうことなのか。こういう重要なテーマを時間をかけて勉強したり議論したりする内容じゃダメだったのか。諸外国や日本の市民の権利や選挙権の歴史的経緯の学習など。かつて板垣退助が起こした自由民権運動で一般市民達が旺盛に学んだように、会員も猛勉強し思索する活動をすべきだったのはないだろうか。

原点から間違っていた

『昭和31年』を模範とし、これを原理原則とするところに全ての原因があるのだ。ここから「法戦の原点である昭和31年」「勝たなければ正義は証明されない」「一念に億劫の辛労を尽す」「師弟不二」「不可能を可能にする戦い」というような有名なスローガンが生じるのだ。これが創価の会員の行動原理になっている。「選挙は功徳が出やすい」「選挙は宿命転換が早くできる」と指導され、選挙活動が信心の次元になっているのも、ここを原点とするからであろう。

創価の選挙活動家と話が噛み合わないのも当然なのだ。彼らは候補者が当選するまで選挙支援に一生懸命になり、あとは当選した同志にお任せするのである。その後は政治の監視など一切しないのだ。これも『昭和31年』の戦い通りである。”伝統”をそのまま受け継いでいるのだ。

この『昭和31年』を根本原理とし続ける限り、今後も創価の選挙活動家達は何も変わらないだろう。会員の人達は(国民主権と信教の自由が確立された現代に於いて)「政治と信仰の次元は全く異なる」ということに気付き目覚めて欲しいものだが、それは期待薄なのだろう。


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