「創価学会は、仏意仏勅の広宣流布の団体です。ゆえに、その中での私たちの活動は、全て広宣流布につながっているのです。私たちが信心に励み、学会活動に挑む中で直面する苦難には、全てに意味があるのです。」

「全員が組織に付き切って、学会のリーダーに育っていってください」仏意仏勅の学会の組織なくして広宣流布はない。組織から離れれば、自行化他の信仰の正道を踏み外すことになる。

「『有解無信』、つまり、教えを理解していても、心では信じていないという生き方もあります。それでは、どんなに教学に精通し、どれほど才能に恵まれていたとしても、一生成仏することはできません。」「どうか、何があろうが、『信』の一字を、深く、深く、胸に刻んで、広宣流布の大道を歩み通し、断じて幸せになってください。『信』によって結ばれた、地涌の固いスクラムは、いかなる力も、決して破ることはできません。」

「信心の筋金が入った人間とは、どういう人間をいうのでしょうか」との青年の質問に対し『永遠の師匠』が、「それは、一生涯、学会についてくる人間のことです。また、広宣流布に生きる先輩についていく人間のことです。たとえ、誰から怒鳴られようが、あるいは、蹴飛ばされようが、学会から引き離されようが、どんなことがあっても、学会につききっていくことのできる人間が、信心の筋金の入った人だ。」

よく創価がこのような指導をするが、これらの指導を全て組み合わせれば、組織の打ち出しを『無疑曰信』で受け止める組織人間を創り出す事にならないだろうか。

選挙活動に疑問を持つ人がいても、「普段は政治の監視もしてないのに選挙の時だけ動くのが、どうして広宣流布につながるのですか?」という疑問があっても、上記のような指導をミックスさせ、このような指導を受ければ、「選挙活動にも意味があるんだ。何があっても、どれだけ苦難があっても頑張ろう!」と発心するだろう。

仮に、これらの指導が正しいとすれば、前提条件がある。それは「創価の活動が全て正しい」場合のみである。世の中にそんな組織があるのだろうか。この世に存在するとは思えない。

ならば、活動家の一人一人が疑問を持ち、「この活動は本当に必要なのか?正しいのか?」という点を納得するまで時間をかけて徹底的に議論・対話を繰り返す事が重要ではないだろうか。今の創価に欠けているのはその点である。


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