大聖人の仏法とは何だろう。自分は、なぜ日蓮仏法を信仰するのか、他の宗派ではダメなのだろうか。と日々考えている。

日蓮仏法の特色は一生成仏、即身成仏である。凡夫の我々がその身を改めなくても成仏できると説かれるのである。それ以前の教えでは、例えば、天台・伝教は観念観法の修行であり、一部の修行者のみが成就可能なのである。多くの一般大衆には難しい修行方法である。また戒壇や戒律も煩雑で難しい。とてもじゃないが一般人では修行を成就できそうにもない。ではその他の宗派はどうか、爾前経は未来世の成仏であり、この一生では成仏できない。また、二乗作仏もない。どれもこれも不完全で納得ができない教えばかりである。部分的には優れている教えの箇所はあっても全体で見ると足りない。

法華経の一念三千、善業・悪業という業の概念をベースに、因果倶時にまで昇華させ、一般人が誰でも仏界を湧現できると説かれるのは大聖人の仏法のみなのである。諸法実相抄で仰せの「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」とは、まさに革新的な発言である。南無妙法蓮華経の唱題行は、まさに凡夫にとって最適の修行法であると思う。「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」と仰せの通り、御本尊に祈る南無妙法蓮華経の唱題行に全てが込められてる。逆に大聖人の仏法以外はピンと来ないのだ。現実に地に足をつけた宗教はこれしかないと確信する。

大聖人の仏法こそが『最も公平な生命観』なのだ。三世の生命という眼で見れば最も公平なのだ。

もしも、これを上回る思想・宗教、実践法があると主張するならば明示して欲しいものだ。「本尊とは勝れたるを用うべし」と大聖人が仰せの通り、よくよく調査し検討してみたい。しかし今までに日蓮仏法より優れた教えに出会ったことが無いのが事実である。

人間には死は必ず来る、中途半端な信仰では生死の荒波に飲み込まれるだろう。元バリ活の人達の中には大聖人の仏法を純粋に信仰せず、ある者は捨て、ある者は我見で都合の良い自己信仰に陥り、ある者は思想部分だけを参考程度に活用してるが、そのような『付け焼き刃の知識』では生死の荒波に飲み込まれて溺れ苦しむだけだろう。


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