日蓮仏法を信奉する、日本でも有数の巨大な寺院組織である。

何といっても活動の目玉は支部総登山である。支部の住職を筆頭に所属する法華講が参加する支部総出の団体登山ツアーである。「本門戒壇の大御本尊様と御法主上人猊下がいらっしゃる最も清浄な場所」らしい。登山することは、過去からの罪障を消し徳を積んで幸せになれる修行だと主張する。そして唯授一人血脈相承の御法主上人から有難いお話を聞けるのである。
宗門側は、南条殿御返事の「参詣遥かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨を企つべし」という御書の文言を根拠に総登山の重要性を主張しているが、大聖人御在世の場所は身延の事であり、南条などの有力な檀徒は直接大聖人に合って指導を受ける立場であった為に身延に行く意味があったのである(また、来臨という言葉を門下に対して使われるのも違和感があるが)。
一般の法華講員は総登山に何度も参加して頑張らねばならない為に負担が大きい。「当支部は誓願達成まで、あと〇〇%です」とノルマが厳しいのである。

巨大な僧侶組織を維持するだけで負担が大きい。登山費用に、各種御供養(塔婆代や、永代回向料、過去帳冥加料、納骨冥加料)に、日蓮仏法の信仰を深める為に、こんなものが必要とされているのである。ただ僧侶を養ってるだけの制度である。

登山に、御供養に、僧侶の御説法、こんなものが果たして広宣流布に必須なのであろうか?こんな環境だと『僧侶が上、信徒が下』に陥りやすいのは当然だろう。


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