創価が全て間違いと断じるつもりも無い、全て正しいと妄信もしない。戦後の焼け野原からの復興の時代に於いて創価の果たした役割もあっただろう。一方、宗門が全て正しいとも思わない、すべてが間違いと断じる事もしない。鎌倉・室町・江戸・それ以後の時代に於いて日蓮仏法を守り受け継いだ役割があった。それぞれの組織が理想に基づき活動をしている。仏法で説かれる『如来如実知見』ありのまま、一つ一つを正確に実態把握すべきである。

個人として、日蓮仏法を信奉する組織とどう関わるか。私の考えは、必要に応じて、創価の人とも交流すれば良いし、宗門の人とも交流すれば良い、顕正会の人とも交流すれば良い。ただし組織主義に取り込まれてはならない。教学の対話をするのは良いが、不毛な本尊論争や教義論争をすべきではない。無理そうなら交流を止めれば良いだけの話である。組織に飲み込まれそうになるなら、距離を取るか交流を止めれば良いだけである。某三人組の人達と交流をしても良いだろう。ただし組織の為の活動に入り込むのはお勧めしない。海外の日蓮仏法を信仰するメンバーとの交流も良いだろう。ただし言葉(特に仏法用語)が通じるか難しい点もあるが。

大事なのは、自分自身の生活の向上であり、自分の周囲の人達を幸福にしていく事である。その為に日蓮仏法があるのだ。あくまで人間の交流が大切なのである。

現在の創価は組織主義・組織維持の為の活動が主体である。主体が選挙活動・聖教や機関誌啓蒙・民音などの維持・本尊流布も成果ノルマ主義である。宗門も総登山に相も変わらず躍起になり、寺の僧侶に信仰の核心部分をお任せして、ご供養・おすがり信仰になっている。顕正会は終末思想で煽り無謀な勧誘活動を続けている。これらの組織の打ち出しを無条件で信じることは、結果として、視野狭窄になり『組織人間』となり『おすがり信仰』となる事が避けられないだろう。

組織はあくまでも補助である。組織は時代の必要性と共に変化をする。現在に於いて、いずれの組織も専門職員や専門僧侶というものは必要が無いだろう。宗教でメシを食っている『専門僧侶』がいると保身が強くなり組織信仰に陥る危険性が増すからだ。今後は有志によるボランティアで維持すれば良い。


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