「学会3世の憂うつ」ブログに関して。青蓮氏。創価大学卒業の20代の若き俊英である。
現在は非活となり、既に日蓮仏法を信仰の拠り所とはしていないようだ。教学的な記事もあるが、信仰者として日蓮の教義そのものに執心が無いようなので触れないでおく。学問的好奇心から書いている記事と思われる。キリスト教の絶対他者としての神の概念を好んでいるようである。そして、その絶対者からの運命を受け入れる宿命論者的な思考らしい。

池田思想の申し子

思想は池田哲学の理想主義そのものである。池田哲学の中でも綺麗なエッセンスを凝縮した所が特に好きなのだろう。こちらの方が現在の彼の信仰の対象と言えるのではないだろうか。

某三人組のような池田絶対主義とは違う。現執行部批判もしておらず、創価改革を唱えているわけでもない。

創価大学で池田哲学を基に純粋培養されたら、このようなタイプの人物が育成されるという一つの成果を見てるようである。池田理想主義が過ぎるが故に現実のドロドロとした創価組織での活動に耐えられなくなり非活へと転じたのだろう。

それでも創価に席を置いている理由は、池田名誉会長が作り上げた創価哲学に対する執着が強いのだろう。自ら「池田教と呼ばれても良い」と明言してるほどである。

しかし、自らが告白してるように自分の親をも愛せないとは残念である。代わりに池田名誉会長を父親と慕っているようだが。その名誉会長が常に「お父さんお母さんを大切にしなさい。」と口癖のように言ってたのを聞き流していたのだろうか。

哲学を志す原点

彼が哲学を学ぼうとした原点は、かつてお世話になっていた知己の学会幹部の方の姿にあるという。かなりの高齢で、生涯一途に学会活動と池田名誉会長に尽くしてきた方だった。題目も1日7時間を行うほど強情な信仰心だったとのこと。

その老夫婦が晩年になりアルツハイマーを患った。悲しいことに、家族から見捨てられ、最低ランクの施設に入れられて、そこで粗雑に扱われてしまう。青蓮氏が本人に直接会っても認知できない。 結局その人は、家族から看取られることなく亡くなった。それほど悲惨な状況だったらしい。

その時に青蓮氏は「なぜ御本尊に力があるなら、この信仰を誰よりも貫かれた人が、誰からも見放され、知的能力を失い耄碌させたのだろう」と疑問に思った 。この件があってから、哲学にのめり込む事になったという。

彼は今まで学んだ哲学でその答えを見つけたのだろうか。

人間革命の比較検証

人間革命の改訂前と改訂後の比較は地味な作業ながら素晴らしい。創価は都合が悪くなると改変して隠そうとする傾向があるので、その監査としての意味もある作業である。今後も是非とも続けて欲しい。

過去記事を削除

しかし、過去の記事の大半を削除している姿勢は残念である。己の書いた記事をコッソリと削除するとは何とも悲しい。自分の過去の発言に責任が持てないのだろうか。これが彼の本質そのものであろう。このような人物は、現実に於いても同じような行動をする傾向にある。


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