大乗非仏説。大昔からある説であるが、残念なのは日蓮仏法を学んだ人でも、この説を支持する人がいることである。大乗や法華経は、その後の弟子達によって創作されたとの説である。だから「仏教の思想は弟子達によって紡いでいくもの」「弟子達の方が偉い」という解釈をするのだ。

釈尊が長期間尊敬され続ける理由

もし仮に、釈尊が大乗を法華経を説いてないのならば、小乗しか説いていないのならば、釈尊の説いた法は一部の二乗しか成仏が約束されないことになる。女性も成仏が許されない。つまり釈尊はただの差別主義者ということになる。そんな人が死後も長い間にわたって幅広い階層の人々から尊敬され続けるだろうか?

「核の部分」は直説

釈尊の願い、それは人間の救済である。悟ったものは無始無終の仏界(久遠実成)だろう。人間の一瞬の一念に宿る命の性質(一念三千)。諸法実相。地涌の菩薩への付属(菩薩行こそが仏の活動そのものである)。空の概念だけでは部分観であり、空仮中の三諦が円融でなければ実在の人間を捉えることは出来ない。釈尊は、このような「法華経の核の部分」を必ず説いているはずである。

口伝の重み

当時のインドは重要な事は口伝で語り継がれる伝統があった。釈尊の教えと行いが至高であったからこそ、後世まで伝えられたのだろう。法華経の細部の説話などは後の編纂者達が付け加えたのだろうが、だからと言って原点である釈尊の価値は不変であろう。


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