かつて創価学会が宗門の外護団体であった頃、私も何度も大石寺の総登山に参加したものである。正本堂の中に入るのに長時間、長蛇の列に並んで大変だったのを覚えている。腹が減ったので道中の飲食店で腹ごなしの為に入ると何処も混んでいて食事すら時間がかかったほど賑わっていた。それほど常に大石寺は信者で溢れかえっており、創価組織あげて総登山を支えていたのである。

今思えば何故頻繁に登山に熱心だったのか思い出せないが、当時は登山し大御本尊を拝することが重要だと指導されていたのだろう。特に疑問にも思わずに純粋に従っていた。

大誓堂詣で、聖地巡礼化

その後、宗門と創価は完全に敵対して、創価のイベントに登山は無くなったのだが、今の創価は信濃町詣で、大誓堂詣でが盛んらしい。全国から活動家達が地区単位のローテーションで担当を決めてやって来るようだ。

そして建物の中に入り、勤行をする際に、スピーカーから流れてくる『永遠の師匠』の録音の声を聞いて「先生と呼吸を合わせて勤行が出来た」と感動するのである。大誓堂での用事が済んだ後は、他の会館に立ち寄ったり、創価グッズを扱うショップでお土産や記念品を購入したりする。そうして地元の組織戻ると、さぞや素敵な福運を積んできたかのような扱いを受ける。

2017年に制定された創価の会憲でも「世界の会員は、国籍や老若男女を問わず、『大誓堂』に集い来り」と大誓堂が信仰の中心道場として明記されている。もはやエルサレムやメッカ詣でと同じ聖地巡礼化しているのだ。

宗門批判の内容がそのまま当てはまる

かつて創価は「どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは大聖人の御本意ではありません」と宗門を痛烈に批判していたが、その創価自身が『特定の参詣場所』を作り出しているのである。

日蓮仏法には、どこか特定の場所に行かなければ成仏できない、という教えは無い。大聖人は「法華経を持ち奉処を当詣道場と云うなり此を去って. 彼に行くには非ざるなり」「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり」と仰せである。自分がいるその場所が仏道修行の場であり寂光土なのである。

宗門と決別した創価は「魂の独立を果たした」と吹聴しているが、やってる事の本質は宗門と何ら変わらないのである。


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