信仰の目的はあくまでも自分の生活の充実であり、家族や友人の幸福である。その為に御書を根本に祈りを根本に日々の生活を充実しようと努力する。仏法対話も一人一人と一生をかけて続けるものであろう。どこかの組織に放り込めば広宣流布完了というものでは決してない。

組織というのは、あくまでも補助である。組織も時代によって変化する。必要に応じて変化する。戦後直後の戸田会長の時代は、東京の幹部が九州の人を折伏すれば、九州の人でも東京の会合に毎回通っていた。当時は指導の手段も乏しかった為に中心である東京中心の活動にするしか無かったのだろう。それが会員数の増加、連絡手段の発達に伴い段々と変化し、地方・地域単位となっていった。御書も出版物も普及が進んだから地域単位で指導ができるようになったのであろう。

今はネットで日本中・世界中の人と交流が持てる時代になった。御書や各種資料もネット上で閲覧できる環境になった。もはや固定的な枠組みに縛られる必要はない。時には組織の枠を飛び越えて自由に交流すれば良い。学会や宗門の人の区別なく交流するのも良いだろう。
将来的にはVR機能を利用したバーチャル座談会というのがあってもいい。例えば、沖縄と四国と東京と北海道の同志達で、遠隔地で物理的に直接会って対話が難しい場合など、ネット座談会ならすぐに集えて有意義な対話ができるだろう。

大事なのは、組織維持の為の活動、「会合の為の会合」をやるのではなく、一人一人の生活を良くする為に、人と会い対話を重ね糧にしていく事であろう。


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