そもそも上行菩薩とは、菩薩でありながら仏なのである。法華経の従地涌出品で地涌の菩薩が登場したとき、身は金色で三十二相を備えており無量の光明あり、と書かれている。これらは仏に備わる特徴である。また、仏である釈尊よりも荘厳だと説かれている。また、天台大師は法華文句で地涌の菩薩を指して「皆是れ古仏なり」と述べている。

法華経ではその後、神力品で釈尊滅後の法華経の流布を付属し託されている。すなわち教主のバトンタッチである。末法に法華経を弘める地涌の菩薩、そのリーダーである上行菩薩こそ仏そのものである。

大聖人もそのような認識をされておられるのが読み取れる「此の大菩薩は彼等にはにるべくもなき・ふりたりげにまします定めて釈尊の御師匠かなんどおぼしきを」(開目抄)

御書(否定派は日蓮遺文と呼ぶ)に直接の記述があるとか無いとか、不毛な本仏否定論を繰り返してるのを見ると悲しくなってくる。


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