弘安二年の御本尊に関して、パッチワーク説があるのは以前から熟知している。その真偽を検証し明らかにするのも必要だと思う。宗門側も積極的に調査に協力すべきだろう。その結果も公表すべきだろう。

私も大御本尊に関しては以前より調べたり考察し続けてきたが、弘安二年の御本尊と呼ばれるもの。それはあったのだろうと推察する。私は、大石寺の大御本尊に固執しているわけでは無い。

未来の信徒の為に「標準的な相貌」の御本尊

大聖人が、熱原の法難で、弟子達が自ら難を引き起こして乗り越えたのを契機に、まだ見ぬ未来の門下達の為(いわゆる一閻浮提総与)に、標準的な御本尊の相貌を御図顕されたと推察する。それが一般的に弘安二年の御本尊と呼ばれているものであろう。

強調しておきたいのは、大聖人は常に滅後のことを重視しておられた点である。御自身の滅後に、まだ見ぬ未来の門下達が仏界を湧現しやすいように(己心の荘厳なる宝塔の儀式をイメージしやすいように)御配慮されるのは最も自然と思われる。逆に、いわゆる一機一縁の御本尊だけしか御図顕されずに生涯を終えられたとする方が、不自然なのである。

仮に、現在、大石寺に安置されている大御本尊が、別人によるパッチワークだというのであれば、標準的な相貌の御本尊は別に存在するはずである。その真偽がどちらにせよ、私はそれを大聖人の出世の本懐だと思っている。それが実は日禅授与本尊だったのかも知れない。或いは万年救護本尊だったのかもしれない。或いは弘安2年以降に御図顕されたものの中に(標準式の御相貌が)複数あるのかも知れない。

象徴的な御本尊

ただし、それが特別な御利益があるとか、全ての根源の御本尊とか、そのような存在ではないだろう。宗門の人達が主張するような「大御本尊に信を取らなければ功力が得られない」などあるはずがない。

他の御真筆の御本尊も等しく仏界を湧現できるだろう。差異があるはずがない。ただ門下達がイメージしやすいかどうかの違いだろう。弘安二年の御本尊は、未来の信徒達が仏界を湧現しやすいように標準的な相貌にされたと推察できる。言うなれば象徴的な御本尊である。

例えば、四条金吾は『火の信心』と評されたが、その四条金吾の性格や仏法知識に最も合った相貌の御本尊を与えられたのだろう。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村