池田哲学に関して「古今東西の哲学のパッチワークだ」と批判をする人がいるが、それの何が悪いのだろうか。そもそも哲学とは過去の偉人達の遺産の積み重ねである。それを取り入れる事の何が問題なのだろうか。全くのゼロから哲学を創り出す人間など存在しない。池田哲学は日蓮仏法を核として構築されているのは間違いない。それをベースに古今東西の哲学者、過去の偉人たちの思想を取り入れてるのだろう。

池田名誉会長は、本を読めと指導された。私も青年部の頃から世界の名著を読み進めた。トルストイやドストエフスキーやユゴーやゲーテなど愛読した。読み進めながら日蓮仏法と対比して考察を続けた。その中で、人間として共通する思想を認めた。漠然とした言い方になるが、いずれの時代においても大事なもの、宗教の必要性、人間の価値、民衆こそが主役である点、等々である。

私も未来部の頃から池田名誉会長のスピーチ集や対談集を貪るように読んで育った。法華経の知恵や、世界の著名人との対談集を愛読してきた。ナポレオン対談、アタイデ対談、アイトマートフ対談、ゴルバチョフ対談、ホセ・マルティ対談、トインビー対談、購入した書籍は枚挙に暇が無いぐらいである。相手が世界の要人だろうと誰であろうと、常に民衆の生活目線で議論が展開されるのが好きだった。それと対談の中で、日蓮仏法の哲学性の高さもアピールしている点も信心の先輩として参考にしている。これらが全て池田名誉会長が直接書いたものであろうと、或いは代筆や制作チームが担当したのであろうと、内容は大いに評価できるだろう。

現在の私は非活になり、創価の現状で間違ってると思う箇所は躊躇わずに批判しているが、その批判する思考力を磨けたのは池田哲学のおかげである。推奨された文学作品や対談集や御書講義録を数多く読めば、それ相応の批評力が身につくはずである。少なくとも組織に盲目的になる人間を作るようなことはないハズなのだが。しかし、現状の創価の活動家の大半は組織の打ち出しのまま盲従している人達なのである。彼らは池田哲学をしっかりと学んでいないし理解もしてないと思われる。

ただし、現在の創価が会員向けに使ってる大白蓮華や機関誌に掲載されてる池田名誉会長の言葉は、その中で綺麗な部分のみを切り取って貼り付けてるだけである。池田哲学の端々を切り取ってデコレーションしているのである。しかも、それを組織の打ち出しを肯定化する為の材料として使っているのである。創価首脳陣にとっては、もはや池田哲学すら会員を都合よくコントロールする為の道具に過ぎないのであろう。


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