バリ活の頃「選挙活動は功徳が現れやすい。」と、よく指導されたものだ。特に婦人部の方々はそう信じ込んでいる人が多い。「自分の功徳の為に選挙活動をやっている」という人が大半であろう。

私は、そんな風潮に対して昔から違和感を覚えていた。私の意見は「選挙活動はあくまでも政治活動であり、信仰とは一線を画したものであるべきだ」と思っていた。

政治を全く監視していない創価会員

「青年は心して政治を監視せよ」とは戸田会長の箴言であるが、学会員の政治活動は、選挙期間中だけ票をかき集めて、選挙が終われば政治を一切監視してないのだ。これでは白紙委任状を与えてるようなものである。選出された政治家が国民・住民にとって悪い政治を行う恐れもあるのだ。だからこそ普段からの各議員の政治に対する行動の監視が重要ではないだろうか。

信仰の次元として捉える

学会内部の活動家達とよく対話・議論をしたが、その点を指摘したら、当時の部長から「それはただの政治屋だよ。我々は信仰の次元で戦っているんだ。」という意味不明の答えが返ってきた。このように彼らは、選挙支援活動を信仰・功徳の次元で捉えているので、話が全く噛み合わないのである。

更に「この選挙戦を利用して、自分自身に勝っていくんだ!」という意味不明なアドバイスをされた。選挙の戦いを自分の戦いに置き換えて、福運を積み、成長の糧にしていこうという意味らしい。これが『創価脳』の思考なのである。しかし、本当に利用されているのは会員であり、利用しているのは創価組織なのは言うまでもない。

ここが根本的におかしいのだ。しかし創価バリ活は気付かない。悲しい事である。

盲目的に信じる活動家

今となっては、結果的に公明党を与党に維持する為だけの活動になっている。それが広宣流布の為・平和の為だと信じ切っているのである。


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