創価の一般会員が、自宅の仏壇に安置している御本尊のことを考察してみたい。大半の一般会員が該当する。

「ニセ本尊」の実態は

これは栃木県・淨圓寺が所蔵していた日寛師が書写した略式御本尊である。創価は、この御本尊を会員に複写・配布する際に、その一部を改竄したと指摘されている。具体的には、左下の霞んだ文字の所を明瞭にして、左端の授与書を削除して、文字の線を太くしたり伸ばした、とのことである。どうやら現存する元の状態のまま複写するのが都合が悪かったようだ。

仮に、それが本当であっても大幅な改竄では無いだろう。根本的に大きな変更を加えてはいない。ならば、そこまで問題なのだろうか。編纂して複写した御本尊だからといって中核の相貌は変わらない。ならば仏界を湧現できるだろう。御本尊の功力は変わらないだろう。ならば「ニセ本尊」と攻撃する人は考えを改めるべきである。大聖人が顕された御本尊の相貌こそが重要なのである。

悲しい「不敬」行為

ましてや不敬など行うべきでは無い。ある動画サイトで、法華講の人が、創価のお守り御本尊を取り出して燃やしてるのを見たが、このような不敬は断じて行うべきでは無い。

逆に、日顕法主や日如法主の書写の御本尊であろうと相貌は変わらない。創価の人は不敬することが無いようにすべきである。だからと言って法主を敬えという事では無い。

相貌こそが

『誰が書いたか、複写したか』が論点ではなく、大聖人の御図顕された相貌こそが重要なのであり、それを敬うことが肝要なのである。法華経の荘厳なる虚空会の儀式をそのまま御図顕された相貌を敬う事が重要である。

解決策は

この不毛な本尊論争が延々と続いてるが、これこそ大聖人が最も悲んでおられるだろう。現実的な解決策としては、御真筆の御本尊を希望者に精密な複写配布されるべきである。御真筆をありのままに複写したのであれば、もはや不毛な争いは無くなるだろう。


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