池田名誉会長は、2010年から7年間もの間、一切表に出ていない。だからといって『完全引退』した扱いでもない。未だに「新人間革命を毎日書き続けてる」「主要な会合や、授与式には常に本人の含蓄深い言葉を送る」という設定で組織の最前線でメッセージを贈り続けている存在なのである。一般会員は誰も本人を見ていない。見るのは過去のスピーチ等々の使い回し映像である。幹部連中は決まって「お元気な池田先生が」と枕詞のように言い続けている。誰がどう見ても、こんな組織運営は異常であろう。『永遠の師匠』という偶像を維持するのに躍起なのである。

人生の総仕上げの時期に

かつて池田名誉会長は「臨終の時は人生の総決算である」と強調していた。人間革命にも、戸田会長が逝去の前に「みんな、私の死相をよく見ておくのだ、ほんとうの成仏の相とはどういうものなのか教えておきたいのだよ。」と語った事が記述されている。この文章を書いたのは池田名誉会長自身なのである。「人生の総仕上げの数年間が最も重要である」と常日頃から言っていたではないか。ところが自分の人生の総仕上げの最も重要な時期に、人前に一切出なくなった。これでは会員が疑問に思うのも当然である。

瀬戸内氏は同じ90代でも人前に出ている

宗派は違うが、著名な瀬戸内寂聴氏は90歳を超えても尚、人前に出て講義をしている。まさに人生の総決算の時に、このように堂々と人前に出て、自分の人生で培ってきた経験を余すところなく語る姿を見ていると感じるものがある。その内容・教義の浅深はともかく。一方、日蓮仏法という最高の仏法哲学を推進してきた池田名誉会長の最晩年の姿はどうなってしまったのだろうか。

皆の前に、有りの侭の姿を

仮に脳梗塞で普通に喋る事が出来ない容態であっても、ありのままの姿を見せることが、最も重要ではないだろうか。『病魔と必死に戦う』その姿を見て馬鹿にする人はいないだろう。老トルストイが最晩年に家出をして生死の闘争をしたように、むしろ感銘を覚えるだろう。どんな状態であろうが、ありのままの『人間・池田大作』で人前に出るべきである。

動画メッセージすら出せない

別に会合に無理に出席する必要は無い。自宅のソファやベットから激励の動画メッセージを贈る等でも良いではないか。今の時代ならスマホで簡単にできることだ。時間が空いている職員が一人いればスマホで撮影して動画をアップできる。それすらしないのは隠蔽体質と批判されても仕方が無いだろう。

今までの発言の信憑性が問われている

もしも、このまま一切表に出ること無く鬼籍に入るとしたら、今までの『総仕上げの発言』は一体何だったのだ。己の発言に責任を持ってもらいたいものだ。「自分だけは特別・例外である」というのは通用しない。全世界の会員に有りの侭の姿を見せて欲しい。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村