創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

昔、私がバリ活だった頃、物事や人物の見方が非常に狭い視野しか持っていなかったことに気付いた。創価組織のフィルターを通じて物事を判断していた。池田名誉会長のスピーチや書籍の内容によって人物や物事を判断していた。「この人は創価を高評価している。だからこの人は正しい人なんだ」「この人は池田先生に評価されていた。だからこの人は偉人である」等々。このような『創価の物差し』が判断基準だった。我ながら何という稚拙な思考だったのか、今振り返れば恥ずかしい限りである。

しかしバリ活の多くは似たような判断基準だろう。「この人は潮で創価を褒めていたわ。信用できる人よ」「この人は創価の選挙について批判していたわ。信用できないわ」等々

自分自身で評価・判断するのではなく、創価組織の見解をそのまま鵜呑みにするだけ。



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現代は様々な思想・宗教・哲学が存在している。かつてこれほど幅広い選択は無かっただろう。

若い人は『会いに行けるアイドル』に熱中したり(アイドルが本尊)応援の為に人生の時間と金を限界まで費やしたり、オンライン・ネットゲームに熱中したり(ネトゲが本尊)。ガチャによる重課金が社会問題として扱われた。かつて無かったようなライフスタイルが新たに出現してきた。

一方で会社人間(会社が本尊)もまだまだ多い。近年では、ブラック企業と呼ばれる悪質な企業が、労働者の『やりがい搾取』してこき使う問題も指摘されている。

或いは趣味や習い事を何よりも優先させる人も多い。旨い物を食べ歩くのが好きで週末になると必ず有名店を巡る人もいる。地域の祭りが一年間の中心として生活する人達がいる。岸和田のだんじりや諏訪の御柱祭など(祭りが本尊)

ギャンブル(ギャンブルが本尊)、パチンコや競馬に人生を費やす、アルコール中毒(酒が本尊)、麻薬(麻薬の快楽が本尊)、

現代では、拝金主義が圧倒的に多い。「金さえあれば」資本が根源である。

日本会議のように国家主義・天皇を本尊とする信奉者も多い。

己の理性を本尊とする人もいる。

(日本では)戦前から共産主義を本尊にした人も多かった。現在もいる。

その国・社会・時代における大衆心理。(戦時中の日本の風潮)。そのような思想・風潮に人は無意識のうちに支配されているものだ。マスメディアが作り出す。戦時中はお国の為に、天皇の為に奉仕することが美徳とされていた(本尊)。

人間は必ず何かを本尊とする。その本尊によって影響を受ける。その本尊の思想レベルが低いか高いかの違いだ。高い思想レベルの本尊を持たなければ次元の低い本尊を受け入れる。具体的にいうと、何の哲学も無い一般人は拝金主義の風潮に陥りやすいのが現実だ。だからこそ高い次元の本尊を根本としなくてはならない。




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創価は中国に対し布教活動を一切していない。加えて、中国政府による人権弾圧・宗教弾圧に対しても抗議の声明を一切出していない。

創価バリ活の人達に聞くと「それはきっと意味のある事なんだよ。今はわからなくても将来わかる時が来る。」
「池田先生は、50年後100年後を見据えて手を打って下さっている」
という答えが返ってくる。

あの鯛焼き支部長も「(執行部は)布石は着実に打っている印象を持ってます」と誇らしげに言っている。

もちろん、何の根拠もない。ただ信じているだけである。

「中国との折衝という壮大なテーマは、本部の方々、池田先生に近い方々が、間違いのない方法で進めてくださっている。着実に中国は平和への道を進んでいるし、将来の広宣流布の布石は打って下さっている。我々は彼等を信じておまかせして、自分たちの地域のことに集中すべきだ。」バリ活の人達は、このような思考回路なのである。

そんな夢物語を妄信してる間にも、現実には中国共産党によって、ウィグル人やチベット人の方々は『強制更生施設』に送られて『再教育』という拷問に等しい苦役を強いられている。創価の活動家は、この事実を完全スルー状態なのである。



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かつて「静かに創価学会を去るために」の記事にて鯛焼き氏の経緯に触れた事がある。今回はこの鯛焼き氏が立ち上げたブログ『シニフィエさんとの対話』(このブログタイトルに関して、シニフィエ氏側は勝手に名前を使わないで欲しいとの苦言を呈している)の内容に触れてみたい。

支部長としては

長年第一線の活動家として頑張ってきた、創価の現役の支部長である。創価組織を守ろうという気持ち(=使命感)は誰よりも強い。支部長としては、部員さんから見れば頼れる存在なのだろう。地元の地域の人達とも折り合いは上手くつけていると思われる。

組織人間の典型

『ものを考えない人』よりも性質が悪いのは『創価組織が絶対に正しい』という発想で論理を構築する人である。この鯛焼き氏こそ組織第一・組織人間の典型であろう。アンチからは『創価脳』と酷評されている。長年の創価組織での薫陶によって形成された思考である。

以下、特徴的な要素を挙げてみる

本尊論

年末年始にかけて、ダメ出し氏と本尊論の応酬が続いていたようだが、鯛焼き氏の本尊論は傍から見ていても余りにも苦しい。

彼の主張によれば、御本尊の相貌があれば全てが『本門の本尊』として認定できるという。創価オリジナルでも、手書きでもOKとの事。あまつさえ排泄物にさえ文字を印字すれば、それも(理論的には)本門の本尊になるという。そして、それを祈る人間の気持ち次第で『(鯛焼き流)三大秘法』が成立するかどうかで、OKかどうか決めるという。普通は排泄物の本尊に対して拝む気持ちになれないので成立しないと力説しているが、逆にいえば、排泄物に印字された本尊でも疑う事無く厚く信仰する人がいれば成立する、という珍説である。

更に、鯛焼き氏は後付けで『自行化他』という条件を付随させてきた。これは最初に発表した『創価学会の本尊の件』記事には無かった要素である。今までは本人の気持ちだけだったが、それに加えて他者も納得できる相貌が必要条件とのこと。(おそらく反論されて困ったので後付けしたのだろう)

創価のカラーコピー(一部改竄)本尊はOKだが、個人がカラーコピーした本尊はNGだという。創価の手書き本尊はOKだが、個人の手書き本尊はNGとのことだ。それは個人の場合は『(鯛焼き流)三大秘法』が成立しないという理由である。要するに拝む側の気持ち次第だというのだ。自分と他者が納得できればOKで、納得できなければNGとのこと。

要するに、創価組織のカラーコピー(一部改竄)本尊のみがOKで、他の組織や個人はNGだと言いたいだけなのだ。おそらくは「顕正会の御本尊もNGです。なぜなら創価に許可なく勝手に本尊を複製すると和合層を破る事になるから」と主張するのだろう。どこまでも「創価のやることが常に正しい」という前提の説である。

とうとう鯛焼き氏は、更に後付けで「前提として『正しい和合僧団』に属することが必須」だと言い出した。これが何を意味するのか明らかである。正しい和合集団とは創価の事であり、宗門や顕正会・その他は、全て正しくないということだ。つまり創価の会員以外が御本尊を拝んでも『(鯛焼き流)三大秘法』が成立しないからNGだと言っているのだ。

この鯛焼き流の本尊論を読んで納得できる人は皆無と思われる。何故にこれほど酷い説が出てくるのか。それは『創価組織のやっていることが正しい』という絶対条件から発想をスタートしているからだ。どれだけ矛盾があろうとそれを正当なものとして肯定しなければならない。その為には、あのようなオカシな解釈をせざるを得ない。当然、穴だらけの理屈になってしまうので、その都度、何とか辻褄を合わせようと補完解釈を付け加えることになる。結果、ますますオカシなものになる。

過去の『永遠の師匠』の発言との相違

戸田会長や池田名誉会長による大御本尊などの関連についての発言と、現在の創価執行部による教義の相違に関して。鯛焼き氏が曰く「それは宗門との関係が切れる前の発言だから」「現在は謗法の巣窟になっているから」と宗門との対外関係の悪化が原因との説明をしている。

しかし冷静に考えて欲しい。本尊とは教団の根本教義ではないか。その教義が対外関係の変化によってコロコロと変わって良いのだろうか。そうなると、何十年か先に宗門と関係が改善した時には同じように本尊を変更するのだろうか。まるでカメレオンのような本尊論である。

組織の具体的な活動内容は、時代の変化や、外部組織との対外関係の変化によって都度変更があっても仕方が無いだろう。しかし根本の教義だけは変更してはならない。



中国への認識

かつてシニフィエ氏との対話の中で、海外布教・特に中国布教に関して言及していた。「国内としては会員数は減少しているが、今後は海外布教で補うのを期待している」「これからの世界広布のカギは中国だと思ってます。北朝鮮とかイスラム圏でも将来的には布教可能になって増えるとは思いますが、まずは13億を有する中国でしょうね。中国で布教可能になれば一気に世界広布は進みます」「(執行部は)布石は着実に打っている印象を持ってます」という趣旨の発言をしていた。

なるほど人口13億の巨大国家のポテンシャルに魅力を感じ夢を抱く気持ちはわからないでもない。だが、ちょっと待って欲しい。創価は中国とのパイプを50年近く前から築いてきた。しかし現状はただの一人の会員も誕生していない。この数十年で中国布教は一歩も進んでいないのだ。

そもそも中国は当局の統制下に置けない自由な信仰は絶対に許さない。管理下に置けない組織的な活動を警戒しているからだ。法輪功や地下教会における苛烈なまでの弾圧を知らないのだろうか。中国に人権という言葉は実質的には無い。集会・結社の自由も現実的には無い。こんな国でどうやって布教を進めるというのだろうか、教えて欲しいものだ。

そんな架空の世界を語るよりも、現実に中国で起こっているチベット民族や新疆ウイグル自治区の方々への人権弾圧(もはやそれすら生ぬるい表現かもしれない。大虐殺と呼ぶべきか)を直視すべきだろう。これらの記事(記事1記事2記事3)を読めばどれほど苛烈な仕打ちか想像できるだろう。そして現役の支部長ならば、中国に対して毅然とした抗議のメッセージを発信するように創価中央組織に強く訴えるべきだろう。

池田名誉会長は中国の公的機関から様々な名誉称号を授与されているのだから、虐げられている中国人の生命と尊厳と人権を守る為に、発言するのは当然の責務ではないだろうか。(これは以前の記事・創価の中国人権弾圧への黙認でも指摘させて貰った)

(チベット民族やウィグル民族の信教の自由と人権を守るために、創価が毅然とした態度を示すことで中国に変化を促す。それにより中国における信教の自由が実質認められるようになる。よって将来的に創価の布教につながる。という論法ならば、これならば一応の理解はできるのだが)

常連のTS氏

なお、当該ブログには常連にTS(鯛焼きサポーターの略)氏という興味深い人がいる。彼はいわゆる『バリ活』では無く、言うなれば『ゆる活』という活動スタイルをとっている。彼は鯛焼き氏のような「創価が絶対に正しい」という組織人間ではなく、創価の現状の問題点もズバズバ指摘できる人である。特に選挙支援活動や数字ノルマに追われる活動内容に警鐘を鳴らしている。今の創価組織には珍しいタイプのメンバーである。

このTS氏と鯛焼き氏は、対アンチ(対シニフィエ)という点では考えが一致しているが、創価の活動方針にテーマが移ると意見が割れることが多い。コメント欄でTS氏が鋭い指摘をするのだが、鯛焼き氏は巧みに論点をずらして流そうとしている。TS氏も創価会員なので同族意識もあり、また他人のブログでもあるので、それ以上は追及するのには遠慮している。


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(まだ思索メモ段階の為、当該記事へのコメントは御遠慮ください。
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創価は、過去の池田名誉会長との対談相手の存在を無かったことにしたり、人間革命の改訂で見逃せない改変を行い続けている。

(以前の記事でも指摘したが)
人間革命の改変
『都合の悪い』対談相手の扱い

オーウェルの『1984年』で、主人公のウィンストン・スミスの仕事は歴史の改変である。党にとって都合の悪い事態になった場合、数字を変えたり、初めから無かったことにして辻褄を合わせる。

旧ソ連に於いては、スターリンの政敵となった人は歴史から抹消された。トロツキー等々。全国の図書館に対して当該人物の記述を抹消するように指示が出されたという。こうして「トロツキーって誰だっけ?」と人々の記憶から消されていった。


池田名誉会長は歴史に関して、著書『人生の座標』でこう語っている。
正しい歴史を残すことが、人類の平和と幸福の道を残すことになるのです。歴史は、歪めたりしてはいけない。歴史を"つくって"しまっては小説になってしまう。悪いことを隠し、格好のよいことだけを残しては、歴史書ではなく虚飾書になってしまう。歴史は客観的に正確に書き、証拠・証人を大事にしなければならない。

後世の為にも、有りの侭の正しい歴史を残さねばならない。


袂を分かった原島嵩氏や福島源次郎氏や石田次男氏などの評価も、単なる『反逆者』としてレッテルを張るのではなく、丁寧に調査し見直す必要があると感じる。そうして総合的に評価し直す必要があるのではないだろうか。



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アンチ創価の筆頭である「(旧)静かに創価学会を去るために」の管理人シニフィエ氏は「創価は10年後、20年後に壊滅寸前にまで衰退するでしょう」と豪語する。また別の記事では「創価は、ある日突然「解散します」で終わるんじゃないでしょうか」などと嘯いている。

本当にそうなのだろうか。

結論から言えば、壊滅など有り得ない。アンチのバイアスによって極端な視野しか持たない人物も哀れである。

創価の地盤はブロックであり地区である。どれほど強固な組織か知らないのだろうか。『永遠の指導者』が8年も9年も表に出なくなっても、教義の根幹が変わろうとも、人間革命がどれだけ改定を加えられようとも、政治の路線が変わろうとも、池田平和思想に反する安保法案に賛成しても、そんなことで揺らぐことは決してない。(以前、記事で指摘したが地区のメンバー同士が疑似家族的な密な関係になっている)

今の年配の人達が卒業して次の世代になれば会員数は大きく減るだろう。それによって国政への政治参加は維持できなくなるだろう。だが創価組織によって純粋培養された人達も依然として多く残る。

顕正会は勢いを増している。宗門も一定数は存在する。他宗教を参考にしても、立正佼成会・天理教など緩やかな衰退傾向であるが一定の勢力は維持されている。

池田思想(池田哲学)というのは綺麗な言葉が並んでおり一般受けが良い。海外のメンバーにも好評とのことだ。池田名誉会長は「平和の為に、世界中を回って各国の指導者たちと対話を積み重ねて、実践し続けてきた」という作られたイメージがある。創価は対話を重視して、宗教や国の体制が違うからといって対話を放棄しないというイメージがある。

現代は思想が混迷を極めている。トランプ大統領の登場あたりから特に顕著だ。分断と憎悪の連鎖。人種による差別。移民の徹底排斥。だが心を痛めている人達も多い。そのような人達には創価は綺麗なイメージとして映るのではないだろうか。

特に日本に於いては、親が創価だからという理由で子供の頃から創価教育によって純粋培養された人達が一定数『再生産』されている。(これは創価だけではないが)。やはり若いころからの刷り込み教育が一番効果が大きいと思われる。



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池田名誉会長のスピーチや対談、創価の新聞やメディア等々のプロパガンダから、創価の運動は民衆を賢くする運動だったはずだ。

池田名誉会長は「民衆が無知ではいけない、騙されてはいけない」と警告した。「創価の運動は大衆を賢くする運動である」と

過去の様々な政治体制を例に。ナチスやスターリン統治下の民衆。プロパガンダ教育により民衆は信じ込まされた。故に不幸になった。無知ゆえに不幸になる。その指摘は正しい。

かつて池田名誉会長は「政治家が偉い、学者が偉い、科学者が偉い、民衆は無知で従うしかない。私はこういう顛倒した世の中を変えたいのです。それが創価の運動なのです」と訴えた。創価の運動に邁進すれば民衆は賢くなるらしい。

ところが創価の活動家達は賢くなったのだろうか。選挙の候補者の票だけお願いにいって、当選した後は全部お任せ。政治の監視など一切しない。ただ上部組織から降りてくる打ち出しをこなすだけの日々。数字に追われる日々。その運動の先に何があるのかを考えることすらしない。検証もしない。

一つの戦いが終われば、直ぐに次の戦いの打ち出し目標が降りてくる。次から次へと。会員達にはこれまでの活動を落ち着いて整理し評価する時間を与えられない。

たまに聖教新聞の記事でSGIのメンバー達がイベントを開催した特集を見て「世界広布は着実に進んでいるんだ!」と実感するのである。(ただしSGIの国別の正確な実数は公表すらされていないのだが、つまり会員が増加してるか減少してるかすら定かではない)

結果として、賢くなるどころか、大量の『ものを考えない人』を生み出してしまった。

(以前に、ものを考えない人ノルマに追われる創価の活動家反対意見を許容しない構図本部組織に従順になる構図で指摘させて貰った)

そもそもピラミッド型の組織運営に問題があったのだろうか。

共産主義体制は前衛と後衛、指導者層とそれに従う労働者層とに分かれる。「純粋だがものを考えられない素朴な労働者層」のために指導者層が導いてあげるという前提である。上位の指導部に絶対的な信頼を置く。指導部が間違っているなど有り得ない。ところがどうだ。現実の共産主義の指導者層は腐敗し、近視眼で長期的なビジョンもなく、数々の計画は大失敗し、民衆を塗炭の苦しみに落とした。「お任せ」した結果がこれである。

その非に気付いて、それに異議を唱え警鐘を行った人はどうなったか。指導者層の腐敗や、歪みや、不都合な現実を指摘したジャーナリスト、市民、その人達はどうなったか。国に混乱を招いた反逆者としてレッテルを張られ。悉く弾圧され処刑され消されていったのだ。

「今の指導部は間違っている」「改善が必要だ。」ピラミッド型の上意下達の組織に於いて、このような声は言論は必ず封殺される。

このような組織統治の下では、下からの改善など実質不可能である。組織が間違った方向に進んでも、それを是正することは出来ない。



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(まだまだメモ段階)

MonLinGenブログを取り上げたい。
管理人は乾河原氏(ブログ村)または『のんかつ氏』である。
創価の現役活動家・いわゆるバリ活である。プロフィール欄で紹介されているが、仕事はボイラー技士とのこと。創価での役職は書いていない。

ブログ村の登録アイコンが何とも気味が悪い。目が泳いで歯が欠けて顔が歪んでいる老人のイラストを使用している。彼の趣味だろうか。

「胸躍る仏罰」という本性

以前に「胸躍る仏罰」という記事を書いていた。以下に引用する
仏法の罰が数年程度で判り易く出てくる訳はありません。
もう少し気長に待ちましょう。
大聖人の仏法は、顕罰として即時公開処刑制度もあります。でも、普通は冥罰と言うダークサイドシステムが常識です。
つまり、知らず識らずの内に、ある日ふと気付いて初めて自覚出来る、そんな楽しい驚きを持っているものなのです。

「5年、7年、15年…。出会った時はもうの後の祭り」

人生の幸福絶頂期に起こる、素敵過ぎる破滅のアクシデント。今から楽しみですよね❤

杖術の術技上達にしても、絵の上達にしても、長い目で見ないと実感できません。
それと同じで、仏法の罰も顕れてくるのには年数というのが必要なのです。
数年やそこらで出てくるような、そんなケチな現象じゃありません。
想像も付かない様な陰惨な結果が必ず顕れます。 もう少し我慢して下さい。嬉し過ぎる出来事は、後で起こる方がいいでしょ。
多分、15年後ぐらいには、
「!………」
天が崩れてきて言葉も失う、そんな驚天動地な最高の喜悦が必ず待っています。

でも、その時になって思い違いは決してしないこと、飽くまでもその罰の原因の全ては貴方自身のものです。学会からの贈りものではありません。
創価を退会してもすぐには罰は出ないらしく長い期間を経て現罰が出るという。彼は「退転者」に仏罰が出るのを胸躍る思いで待っているのだという。それを「驚天動地な最高の喜悦」だと表現している。

この文章を読んで唖然とした。何という悪趣味な人なのだろうか。彼の人間性が余すところなく出ている。

これが日蓮仏法の信者の姿とは到底思えない。

創価ダメ出し氏とのやりとり

かつて、創価ダメ出し氏と本尊論で論争をして、完膚無きまでに論破されて逃げ帰った実績がある。彼はまともに法論すらできなかったのだ。現証のみを強調して文証や理証が一切出せなかった。教学力が皆無なのは明白である。

法論では勝てないと悟ったのだろう。潔く負けを認めれば良かったのだが、そうはしなかった。その際の言い訳というか捨て台詞が以下である。
「私はこの話し合いを、自分のブログのネタにしたいだけ、ただそれだけの事なんですから。 」
信仰者にとって一番重要な本尊論を「自分のブログのネタにしたいだけ」の為にやっていたと吐き棄てたのだ。呆れ果てた輩である。


このダメ出し氏とのやりとりを見ていると、彼の人格が全て窺い知ることができる。最初は低姿勢で「対話をお願いできないでしょうか」という口調だったが、それが3日後には、態度が豹変し、当該ブログに集まる人達をごみ溜めのように表現したのだ。
でも、よく考えてみると、ここ(=ダメ出しブログ)はある意味とても大事な場所なのかもしれません。ゴミの一時受け入れ場所としてね…。

ビルのそれぞれの地下には「汚水槽」という設備がある事をご存じですか?
非常に大事な設備です。ビルから出る糞尿、ゴミ、汚濁物をそのまま市の配水管に流さずに一度貯留させておき、それから適当に市の配水管を経由して処理場に送るという、社会的なとても大事なインフラです。でないと、ビル内が糞尿まみれになってしまいます。

そんな機能を持っているんですね。そう考えると、これだけの「糞尿連」が集まり続けていることに、とても納得出来ます。
(組織は違っていても)同じ日蓮仏法を信仰する人達に対して『糞尿連』とまで言い放っているのだ。もはや対話以前の問題である。人間性に致命的な欠陥があるとしか言いようがない。

偏った反論

特徴的なのは創価アンチのサイトに対してピンポイントで批判を行う記事が多い所である。
しかし、その内容が酷い。自分が反論しやすいような記事のみを選び出す。明らかに行き過ぎたアンチの記事のみ。例えば『池田大作朝鮮人説』等々。創価に否定的な人達でも「それはちょっと言い過ぎじゃないか」というレベルの題材である。アンチ創価の中でも極論の類に入るものばかりを探し出してくる。これを反論しても「幾ら何でもそうりゃそうでしょ」という程度である。これで創価の正義を証明できたと思い込んでるならピントがズレている。

彼は、ある退会者のブログに関して批評記事を書いていた。その人は精神的に悩んでいた、という内容が書かれてたようだ。しかし、彼曰く、ひたすら退会者に非があるとのこと。ちょっと待って欲しい。創価の厳しいノルマ活動に追い込まれて、精神的に病むほど追い込まれた可能性が高いのではないだろうか。彼はそれを一切考慮してないのだ。

ひたすら退転者に非があると攻め続ける。これが「創価組織が正しい」という「組織人間」の発想であり、いわゆる『創価脳』なのである。「教条主義」そのものである。

創価が批判されているのは、財務や、選挙支援活動、新聞推進等々の厳しいノルマ、このような活動内容なのだが、それらに対して一切答えていない。本当に反論しなければいけないのはこれらだろう。

彼はこのような所業によって「創価の正義を宣揚している」と思い込んでるらしいが、実際は逆効果になっていることを早く自覚した方が良い。



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他記事のコメント欄にて『気楽に~』の渡辺氏の情報を頂いた。



(追記:当該動画は2019年2月下旬頃に削除された模様)

早速見てみたが、感想は・・・絶句である。

このやりとりの中で、彼の人間性の本質が全て出ている。

特に動画の21分あたりを見てみると、まるでキャバクラでの客とキャバ嬢の会話が展開されている。よくもまぁこのような品の無い会話が出来るものだ。しかも自分から卑猥な発言をして相手の女性を下ネタに誘導しているのである。(具体的な発言内容を書くのは、余りにも卑猥過ぎる為に控える。直接動画を閲覧して頂きたい)誰がどう見ても、下心丸出しのスケベなオッサンそのものだ。このような下ネタ満載の会話で、はしゃいで興奮している渡辺氏には心底軽蔑する。

彼は常に、創価バリ活や法華講員の人達に対して「屹立した信仰者たれ!」と『覚醒』を呼びかけていた。これが彼が説く『屹立した信仰者』の振る舞いなのだろうか。なんと御立派な姿なのだろうか。

何の為に宗教があり、信仰をするのか。その目的の一つは、人間性を磨くことである。

彼の過去の言動をまとめてみると、創価ネタで散々遊んだり、伊勢神宮に参詣したり、挙句の果てには、女性に対して下心丸出しの卑猥な発言を連発しているのだ。日頃から仏教に関して御自慢の『我見解釈』を披露しているが、仏教から一体何を学びとったというのだろうか、そもそも何の為に仏教を学んでいるのだろうか。単なる知識欲を満たす為としか考えられない。


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先日、沖縄県知事選挙が実施された。数人の立候補者がいたが、自民・公明が推薦する佐喜真候補と、オール沖縄として推薦する玉城デニー候補との一騎打ちであった。この佐喜真候補とは日本会議のメンバーであったとされる。辺野古移設に関しては明確に反対せず、実質的に容認の立場であった。

公明党は前回の名護市長選挙に続いて、またもや自民推薦候補を推薦する戦略に出た。

沖縄のことは言うまでも無く沖縄県民が決めることだ。本土が押し付けるべきではない。その結果を尊重すべきだろう。

一歩踏み込んで考えてみたい。沖縄県民の多数が「米軍基地は必要ない」と結論を出したならば、それがない状態での防衛体制を構築すべきだろう。その場合、自衛隊の大幅増強・再配備も必要になって来るだろう。防衛費の負担も増えることになる。しかし、それをいつまでも誤魔化し続けるのは卑怯ではないか。自分の国を自分達で守るという事を真剣に考える時に来ている。

組織あげての大量動員

今回の沖縄県知事選挙では創価組織が大量の動員をかけたという。 
公明の支持母体である創価学会は県内に数千人規模とされる大勢の人員を投入。選挙期間中3度沖縄入りした小泉進次郎氏の街頭演説会のうち2回で支持者を大勢動員した。県外からも電話作戦で佐喜真氏への投票を促すなど総力戦を展開した。
(記事ソース)
前回の知事選では公明党は”自主投票”でしたが今回は新基地賛成の候補を全国動員で応援している。我が家にも関西から幹部がきて、”オール沖縄は共産党。デニーでは経済発展ができない”とデマ宣伝を繰り返している。
(記事ソース)

実質的には、辺野古に新基地建設を容認している佐喜真候補を推薦し、組織あげて大量動員して応援する。創価・公明党がやっていることは押し付け以外なにものでもない。

動員された会員は沖縄に乗り込み、佐喜真候補へのお願いに回ったり、候補者の演説が盛況のように見せる数合わせの為に聴衆に加わる。それが池田名誉会長への報恩感謝に直結するとばかりに頑張るのだ。彼等は沖縄県民がどれほど米軍基地に苦しめられてきたか、基地の無い状態を願っているのか、その気持ちなど考えもしない。組織の言う通り何も考えずに動くだけだ。そしてこんなものを法戦と称し日蓮仏法の実践法だと主張する創価組織のやり方には心底呆れる。

今回、玉城デニー候補の陣営で創価会員の三色旗が目立ったが、あの方々の気持ちもわかる。沖縄県民の心を踏みにじる行為を許せなかったのだろう。たとえ組織に睨まれようが移設反対の意志を示さねばならないという止むに止まれぬ行動だったのだろう。


(以降、時間をかけて記事を書き上げていく予定、まだまだ一部)



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