創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

かつて池田名誉会長は、ルーマニアのチャウシェスク元大統領との会談や、エジプトのムバラク元大統領や、パナマのノリエガ将軍らと会談し、それがグラフSGIや機関誌に掲載されていた。

後に、チャウシェスクは独裁者として銃殺された。ムバラクは、アラブの春で、独裁者として逮捕された。ノリエガ将軍も失脚した。

この連中がこうなった後で、創価は対談自体を無かったこと扱いにしているのだ。

チャウシェスクはルーマニアの国民に対し厳しい言論統制を行い国民に圧政を敷いていた。池田名誉会長はそれを見抜けなかった。
「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることが、よく理解できました。」
(「池田大作と、チャウシェスク・ルーマニア大統領〈当時〉との会見」 昭和58年6月8日)
などという発言をしているのだ。

或いは、かつて池田名誉会長と青年部幹部で行われた『青春対話』に、弓谷元高等部長が聞き手役で登場していたが、いつの間にかいなくなっている。女性問題を起こしたらしいが、会員に何のアナウンスも無く消えていった。

創価の歴史は、都合の悪いことは無かったことにする傾向があるが、このような姿勢が良くない。会員の赤誠の寄付で成り立っているのだから全てを正直に報告すべきだろう。「対談相手の選定が間違ってました。見抜けませんでした。」と素直に反省の意を表せば良かったのだ。それを、対談の存在自体を削除し隠蔽しようとするから良くないのである。


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バリ活の頃「選挙活動は功徳が現れやすい。」と、よく指導されたものだ。特に婦人部の方々はそう信じ込んでいる人が多い。「自分の功徳の為に選挙活動をやっている」という人が大半であろう。

私は、そんな風潮に対して昔から違和感を覚えていた。私の意見は「選挙活動はあくまでも政治活動であり、信仰とは一線を画したものであるべきだ」と思っていた。

政治を全く監視していない創価会員

「青年は心して政治を監視せよ」とは戸田会長の箴言であるが、学会員の政治活動は、選挙期間中だけ票をかき集めて、選挙が終われば政治を一切監視してないのだ。これでは白紙委任状を与えてるようなものである。選出された政治家が国民・住民にとって悪い政治を行う恐れもあるのだ。だからこそ普段からの各議員の政治に対する行動の監視が重要ではないだろうか。

信仰の次元として捉える

学会内部の活動家達とよく対話・議論をしたが、その点を指摘したら、当時の部長から「それはただの政治屋だよ。我々は信仰の次元で戦っているんだ。」という意味不明の答えが返ってきた。このように彼らは、選挙支援活動を信仰・功徳の次元で捉えているので、話が全く噛み合わないのである。

更に「この選挙戦を利用して、自分自身に勝っていくんだ!」という意味不明なアドバイスをされた。選挙の戦いを自分の戦いに置き換えて、福運を積み、成長の糧にしていこうという意味らしい。これが『創価脳』の思考なのである。しかし、本当に利用されているのは会員であり、利用しているのは創価組織なのは言うまでもない。

ここが根本的におかしいのだ。しかし創価バリ活は気付かない。悲しい事である。

盲目的に信じる活動家

今となっては、結果的に公明党を与党に維持する為だけの活動になっている。それが広宣流布の為・平和の為だと信じ切っているのである。


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また選挙の季節になってきた。残念ながら、創価は今や完全に選挙活動がメインになってしまった。末端の会員は選挙活動が自身の幸福の軌道に直結すると思い込んでいる。自分たちの代表である公明議員を当選させることが広宣流布に直結し日本の幸せにつながると固く信じているのだ。その為に各会合で池田名誉会長のスピーチや人間革命を拝読して「先生がお元気なうちに大勝利でお答えしよう!」などとハッパをかけられる。

東京以外の学会員でも、東京に友人・知人がいないメンバーも地区や支部単位で東京にとりあえず行って、タクシーやコンビニや昼食に入った外食屋の店員さんに候補のお願いをしたりするのだ。そして地元に戻ってから、それを地元の会合で勇んで報告したりしているのだ。それを万雷の拍手で応える。傍から見れば異常な光景である。

ちょっと待って欲しい。冷静に考えて欲しいものだ。なぜ選挙活動が信仰に直結すると思い込むのか。宗祖の御書の何処にも、選挙活動が信心であるなどと書かれてはいない。信仰は信仰であり、選挙とは次元が違うのである。創価でも海外の組織はメンバーが自主投票しているではないか。それが当然なのである。

いい加減に選挙活動屋から脱却して、信仰とは自身の生活を充実させる事が本義だと目覚めて欲しいものだ。全身全霊の選挙活動をして公明を勝たせても、幸せになるのは議員と本部職員連中だけなのだから。


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法難を重視される

大聖人は難を重視された。御書を見ても、法華経の行者の証明として、経文に書かれている通りの難を受けられた事を何度も何度も述べられておられる。枚挙に暇が無い。日蓮仏法の信徒はこの点を軽視してはならない。

日蓮を研究する人の中には、法難の重要性をスルーする人もいるが、このような人は大聖人の御心を全く理解できてないのである。

瑞相を重視される

もう一点は瑞相である。この瑞相も重視しておられた。末法到来の現証として恐れられた天変地夭等も、大聖人の眼には、謗法のゆえであると同時に、大法が興隆する瑞相と映じたのである。

顕仏未来記に「去ぬる正嘉年中より今年に至るまで或は大地震・或は大天変・宛かも仏陀の生滅の時の如し、当に知るべし仏の如き聖人生れたまわんか、大虚に亘つて大彗星出づ誰の王臣を以て之に対せん、当瑞大地を傾動して三たび振裂す何れの聖賢を以て之に課せん、当に知るべし通途世間の吉凶の大瑞には非ざるべし惟れ偏に此の大法興廃の大瑞なり」と仰せである。

予言の的中

予言の的中も重要である。「又世間の作法兼て知るによて注し置くこと是違う可らず現世に云をく言の違はざらんをもて後生の疑をなすべからず」(佐渡御書)と仰せである。現世の予言が的中した事実に照らして、後生についての疑いを持ってはならないと戒めておられる。


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創価ルネサンス運動
中世ヨーロッパの、ルターの宗教改革に倣い、その精神を訴えていた運動である。
当時、宗門から破門された。


学会員以外でも気軽に参加でき、忌憚なく意見・議論を交わせた時期。
種々の会合に会友さんを呼んで和気藹々としていた時期だった。
学会の歴史の中でも懐の深い時期だった。
一つの理想モデルの試みであった。
『哲学者たれ』の指針
いまや、その面影も無いが。


本家・欧米のルネサンス運動は、キリストの原点に帰れ、ということだった。




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創価学会を離れた人(在籍しても心は離れてる人も含む)のその後を分析してみた。

A・スピリチュアル系にハマる
神秘的なものに惹かれる性質は変わらない。おすがり信仰の対象がスピリチュアル系に変わっただけ。

B・日蓮正宗・顕正会などの他団体に移行する
アンチ創価の急先鋒になる。体験発表等々で創価をボロクソに叩く。そこでも組織主義に陥ってしまうのである。御僧侶様や浅井先生を絶対的な存在として仰ぐ。崇拝の対象が変わっただけである。

C・どこにも行かずに一人で追及する
どこにも行かずに一人で追及する人に起こりがちなのが、日蓮大聖人をも否定したり矮小化したりする傾向にある。「運ちゃん氏」しかり「気楽に語ろう~」の渡辺氏しかり。

この理由は、「もう騙されたくない、真実を追求したい」という気持ちが強すぎる為に、宗祖の言葉さえも信じれずに、我見により勝手に解釈したり、スルーしたりする特徴がある故。彼らは「人間日蓮が知りたい」などと嘯いているが、その結果、日蓮を矮小化しているのである。

彼らは「観念的な信仰」に成り下がってしまう。現実に於いて、友人など隣人を救う事をメインとせず。ただただ歴史資料などを貪るように読む。もはや宗教学者と一緒である。仏教伝来の歴史などの各種資料や寺巡りが大好きなのである。ただの知識欲を満たす為の行動がメインになっている。せっかく組織主義の縛りから解放されたのに、こうなってしまっては残念である。原点である日蓮大聖人に戻って欲しいものである。

D・「日本人的」な宗教観。正月は神社・結婚式は教会・葬式は既成仏教にすがる
確固たる宗教を持たない日本人的な性質になる。雰囲気で宗教を利用する。本尊に迷う姿。
創価の組織主義から脱したのは良いが、これでは生死の大海を乗り越えることは出来ようか。



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大聖人の教団は、どこにも属さない独自の宗派を目指したのか
それとも天台の一宗派として、いわば「改革的な一派」としての存在を目指したのか。当時であれば、恵心流と檀那流が有名であるが、そのような一学派として。

どちらなのだろうか

大聖人滅後、日昭や日郎が、『天台沙門』と名乗っていることから、高僧達の間でも天台の一派であるという認識があったと推察できる。


大聖人の御入滅後、日郎師と日昭師。彼等は『天台沙門』と名乗り、幕府の要求する異国調伏の祈祷に参加した。

この二人は鎌倉を中心に教団の活動をしていた。従って、幕府からの圧力は相当なものだっただろう。幕府の弾圧を避けるための対応をしたのだった。これにより住坊の破却を免れた。

彼等を擁護するのは容易だ。「まだまだ脆弱な日蓮教団を後世に残す為に止むを得ない対応だった」等々。幾らでも理由は付けれる。

だからといって、天台沙門と名乗るのは果たしてどうか。かつて日蓮大聖人も天台沙門と名乗られたことはあったが、そこから佐渡以降は『本朝沙門』『扶桑沙門』と変化している。大聖人滅後に弟子達が天台沙門と名乗るのは逆行していないだろうか。

大聖人は常々、弟子達に「難を呼びよせよ」と叫ばれた。その御指導を忘れたのだろうか。弾圧を恐れて難を避けてどうするのだ。それが果たして大聖人の御心に適ったものであろうか。

佐渡から帰還された折に、鎌倉にて、平左衛門尉頼綱と対談された。そこで幕府側から「異国調伏の祈祷を行えば、鎌倉に僧坊を構えてやろう」との提示があったが、キッパリと断わられた。
「それにとて日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし、たすからんとをもひしたうならば日本国の念仏者と禅と律僧等が頸を切つてゆいのはまにかくべし」
「真言師にいのらする程ならば、一年半年に此のくにせめらるべしと申しきかせて候いき」
殊に真言宗が此の国土の大なるわざはひにては候なり大蒙古を調伏せん事・真言師には仰せ付けらるべからず若し大事を真言師・調伏するならばいよいよいそいで此の国ほろぶべし
と仰せである。「真言や念仏を用いては国は救われない」。この時の大聖人の御心をよくよく思案すべきだ。真言師や念仏師の者達と一緒に、異国調伏の祈祷を行うなど断じて有り得ない行為などである。



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薬草のサンスクリット原典

また、六十二種の[誤った]見解がなされることも、[それと同じように]みなされるべきである。[あらゆるものごとが]空であること(空性)、自性のないこと(無相)、欲望を離れていること(無願)、[煩悩の炎が]吹き消されていること(涅槃)に至る[四つの]門は、あたかも四種類の薬草のように、そのように見なされるべきである。[以上の]ものが用いられれば用いられるほど、諸病は平癒するのである、と[いう]。

このように、空であること、自性のないこと、欲望を離れていることという[三つの解脱]への入口を修行してから、衆生たちは無知(無明)を滅するのである。無知を滅することによって、[実際には存在しないものを、あるかのごとく]作り出す心の働きの滅尽があるのだ。このようにして、この苦しみのみの大きな塊りの滅尽までもがあるのだ。そして、このようにして、この人の心は、善にも、悪にもとどまることがないのである。

あたかも盲目の人が視力を回復するように、そのように声聞と独覚の乗り物に属するものは見なされるべきである。[その人は]生存領域の循環(輪廻)と煩悩の束縛を断ち切るのであり、煩悩の束縛から逃れて、三界に属する六種の生存領域(六道)から解放されるのである。



スッタニパータ
第3 大きな章 12.二種の観察

  「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 『どんな苦しみが生ずるのでも、すべて無明に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つの果報が期待され得る。──すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存にもどらないことである。」──

 師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

この状態から他の状態へと、くり返し生死輪廻に赴く人々は、その帰趣(行きつく先)は無明にのみ存する。

この無明とは大いなる迷いであり、それによって永いあいだこのように輪廻してきた。しかし明知に達した生けるものどもは、再び迷いの生存に戻ることがない。


十二因縁の『還滅の縁起』と同じような

日興上人が身延を離山し、富士に移る際に、宝物の中に板本尊の記録は無い。

堀日亨法主は「富士日興上人詳伝」で、従来の説に疑義を提示している。日興上人が身延から富士に移る際の記録をもとに、 「御荷物の中に『生御影』『御骨』はかならず御奉持であるべきであるが、板本尊にいたっては研究の余地が存ずる。」 「すでに原殿抄の末文にあるごとく、身延山の常住物は何一つ持ち出していない。」 と述べている。

であるならば、富士の大石寺の本堂に安置した本尊は何だったのか?日興上人は果たして、どの御本尊を安置したのだろうか。いわゆる弘安二年の戒壇本尊でなかったとしたら。真筆の御本尊だろうか、それとも日興上人書写だろうか。

真筆の可能性が高い。なぜなら『富士一跡門徒存知の事』の中で、真筆の御本尊を下付したり、真筆本尊に脇書きしたり、つまり真筆の御本尊が手元に相当数あったと拝されるから。








日目上人等の残した「日興上人御遺跡事」の中で、本門寺本堂に安置するものの記載は「日蓮聖人御影並びに御下文」しかない 

日興上人の入滅(1333年2月2日)の直後、正慶2年(1333年)2月13日に日目、日仙、日善の本六の3師が花押入りの連名で書き残した「日興上人御遺跡事」に、「本門寺建立の時に本堂に納め奉るべき」ものとして記録されているのは、 

「日蓮聖人御影並御下文」(大聖人のお人形と、園城寺申状のこと)(歴代法主全書1-213) 

の二つだけである。この時点では広布の時の本門寺本堂に安置するべき板本尊は存在しなかったと考えざるを得ない。なぜならば、この文書の内容は、上記の2つの日興上人の遺跡を象徴する宝物について、 

「本門寺建立の時は本堂に納め奉るべし。この條、日興上人の仰せにより支配奉ることかくの如し。この旨に背き、異議をなし、失いたらん輩は、永く大謗法と為すべし。」(歴代法主全書1-213) 

と、日興上人が残された最も大事なものについての取り扱いを定めている。



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