創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

もはや僧侶が必要な時代では無くなった。『職業僧侶』という点では、学会や顕正会等々の本部職員も同様である。「宗教でメシを食っている人達」こういう連中は必要ではなくなった。

僧侶が必要だった時代

昔は僧侶や寺院が必要であった。寺院にて中央集約的に管理して、教義を保つ役割が大きかった。また、書物の保管の役割もあった。一般の民家は地震や火事で焼失しやすいので、一般の檀徒に保管は任せることは出来ない。このような背景があったので、必要であった。

教義の保管・重要書類の保存という点で見れば、彼等には一定の評価はしている。

現代に於いては

翻って今の時代はどうか?と考えたとき、もはや僧侶や寺院の役割は終わった。むしろ弊害の方が大きい。「御僧侶様」「本部職員様」が上。一般信徒が下。という構図が起こりやすい。

洋の東西を問わず。例えばキリスト教の歴史を見れば、幾世紀も、教会の支配に隷属していた事実がある。魂まで教会の司教に依存していたのだ。神と自分の間に僧侶が入り込んでいた。これが不幸の根源である。日蓮仏法で言えば、自分と御本尊の間に、法主や組織や偶像(永遠の師匠等々)が入り込んでいるのである。これが『おすがり信仰』に陥りやすい遠因となる。

仏法の修行方法は時代と共に変化する

なをいかにとしてか此功徳をばうべきぞ、楽法梵志・雪山童子等のごとく皮をはぐべきか・身をなぐべきか臂をやくべきか等云云、章安大師云く「取捨宜しきを得て一向にすべからず」等これなり、正法を修して仏になる行は時によるべし、日本国に紙なくば皮をはぐべし、日本国に法華経なくて知れる鬼神一人出来せば身をなぐべし、日本国に油なくば臂をも・ともすべし、あつき紙・国に充満せり皮を・はいで・なにかせん(日妙聖人御書)
と仰せのように仏法の修行方法は時代と共に変化する。紙が身近にある時代に自らの皮を剥ぐ必要がないように。ネット上に御書の全てが公開されている時代に於いて「御僧侶の導きがなければ正しい修行ができない」などということはありえない。

もはや今の時代は情報がオープンになっている。御書は何処でも手に入る、ネット上でも読むことが出来る。僧侶や寺院に頼ること無く、存分に御書を研鑽できるのである。信徒一人一人が御書を根本にして日々の生活を充実させることが可能なのである。

我々在家の一人一人が、かつての僧侶の役割を自覚を持って遂行すれば良いのである。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

想学談林「運ちゃん」氏は、釈迦の教えを以下のように『我見解釈』している。
釈迦が説き広めた教えに一番近いのは、今で言う原始仏教だと僕なんかは考えていますが、そこの教えは執着を断つ事、心を平静に保つことなどがあり

僕が思うのは道徳律というか、心を落ち着かせる要点というか

この主張には強い違和感を覚える。
道徳律だの、心の平静を保つだの、その程度の目的ならば、わざわざ難解な仏教を研鑽する必要があるのだろうか?

心の平静を得たいのならば、イメージトレーニングや、呼吸法を実践するなど、その程度でも充分だろう。

道徳律を養うならば、古今東西の道徳について説かれた書物(孔子や)を研鑽するなど、或いはボランティア活動に勤しむ、丁稚奉公の修行をする等々、幾らでも方法があるではないか。

仏教は『八万法蔵』と言われるように膨大な経典があり、余りにも複雑で難解である。しかも経文が誰が何処で書かれたのか不明なものが多く、偽経疑惑も多く、文献の証明も無かったり不確かな部分が多い。それらの検証をするだけで一生かかっても到底追いつかない程である。

そのような膨大で難解で複雑な仏教から「運ちゃん」氏が学んで得たものが、単なる道徳律だの、心の平静だの、この程度なのである。なんと浅薄な結論なのだろうか。

彼は以前にTwitterで
仏教も哲学も、自分がこの人生を生きるための参考書程度と考えるべきではないのかね。そこを「不磨の大典」と考え依存するからおかしくなる。(ソース
と言い放っているから、所詮はこの程度の認識しか無い人間なのだ。

一方、彼は『死の問題』に関して、仏教では役に立たないからといってNDE(臨死体験)にその答えを求めているのである。キューブラー・ロス氏の著作をバイブルのように重視している。生死の問題は最重要事項である。もはや彼の思想の主軸はNDEにあるといって良いだろう。

彼の仏教に対するこのような軽薄な姿勢では、これ以後も、幾ら時間をかけて仏教知識を得たとしても時間の無駄になるだけだろう。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

大聖人でなければ顕せない世界・景色があるのではないだろうか。甚深なる思想。そこから顕された配置・相貌ではないだろうか。勧請された諸尊の文字の間隔・座配・字の跳ね具合、特に中央主題の「南無妙法蓮華経・日蓮」の凄まじい躍動感は他の誰にも真似が出来ない程である。

いくら筆跡を真似ても、勧請された諸尊を似たような座配で描いたとしても、他人では表現できない甚深の領域があるのではないだろうか。

あのレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画が、本物と贋作では隔絶の差があるように。構図や色彩、タッチ等々。本人にしか表現できない世界があるのではないだろうか。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

創価の活動家は、組織の魅力をこう訴える
「創価家族と言われているコミニュティーの中での、心のひだに届くような叱咤激励、君が憂いに我は泣き、我喜びに君は舞うという学会歌にあるような組織文化」があるという。

なるほど確かに会員同士の温かい交流もあるだろう。ある種の互助会のような役割はある。そこは否定しない。

しかし、それは創価だけが特別ではない。一般社会に幾らでもある。例えば重い病を抱える家族会や、障碍を持つ子供をサポートする会などは、もっと心の籠った交流がある。言葉一つ一つを大切にする。家族の悩みも一緒になって取り組んでくれる。或いは、若者に教育支援や生き甲斐を教える会もある。高齢者にきめ細やかなサポートをする会もある。そのような会は枚挙に暇がない。

この点は創価だけが飛び抜けて優れている訳でも何でもない。さらに現状の創価は、組織の打ち出しに従わない人・活動方針に異議を唱える人を、査問だの除名だのドンドン排除していっている現実がある。その温かい『創価家族』すら、組織に従順に従うという前提条件なしには成り立たないではないか。そうなると、何の制約もなく純粋にサポートしてくれる後者の会の方が遥かに勝れている。

「現証」をアピール

創価の活動家は、組織の正当性をアピールしている
「(日蓮正宗・創価学会・顕正会の中で)池田名誉会長の指導によって、詐欺と言われる創価だけが飛び抜けて世界192カ国・地域に広まっているという現証」を誇っている。まるで数こそが正義の証明だと言わんばかりである。

しかしイスラム教、キリスト教の信者数は10億人を軽く超えている。その論理でいえばイスラム教・キリスト教の方が遥かに「現証」を出していることになる。つまり人類社会から認められていることになろう。日蓮仏法よりも優れている事になってしまうのだ。

そもそも大聖人御在世の日蓮教団の数は、遥かに少数だった。念仏宗などの方が遥かに多かった。では念仏の方が優れているのか。そんなはずはない。信者の数よりも教義の内容が重要なのは言うまでもない。

要するに、教義の面での優位性を主張できないから「現証」を強調するしかないのだ。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

創価は絶対平和主義を唱えている。戸田会長が提唱した『原水爆禁止宣言』は創価内では有名であり、これが淵源とされているほど重要視されている。

ところが、牧口会長の著作『価値論』の中に気になる記述がある。
科学が純粋の真理を求めつつ、しかも討究して得られた定理が人間の幸福生活へ実践行動化すると同様に、この宗教も純粋なる生命哲理を最高へと組み立てつつ、その最高無上の定理は人間の幸福生活への実践として行動化されているのである。譬えば、原子核の分裂と云う事は今の科学に於いては最高のものであるが、この原子核分裂の定理は単なる学問として止まるものに非ずして、平和を守るための原子爆弾として行動化されている。

(戸田城聖補訂版『価値論』「第5章 価値の系統」「第6節 宗教と科学・道徳及び教育との関係」から)
驚いたことに『平和を守るための原子爆弾』という、およそ仏教徒の発想とは思えない主張がなされているのだ。

牧口会長が戦時中に原子爆弾の情報を持っていたとは到底考えられない。となれば、この部分は戦後に補訂版を作成するときに、付け加えられた文であると推測できる。どうやら戸田会長の『科学と宗教』という論文の内容が付与されたようである。これは大白蓮華(1953年7月10日)の巻頭言に『科学と宗教(二)』として寄稿された文章と一致するので間違いないようだ。

ということは戸田会長は、原子爆弾が平和を守る為の役割を担うと考えていた時期があったことを示唆している。原爆が広島・長崎と二発も投下された後にこのような見解を持っていたとは驚きである。これにより日本が無条件降伏をしたため戦争が早く終わって平和が訪れたという意味なのだろうか。或いは、いわゆる『核の抑止力』で核保有国同士の均衡を保つという意味だろうか。

この見解から、年を経て、やがて1957年の『原水爆禁止宣言』での
たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔物である
「核兵器の使用は絶対悪である」という発言に変化していく。これは明らかに正反対の主張である。

戸田会長の平和思想とは実際にはどのようなものだったのだろうか。今後の更なる研究を待ちたい。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

大詩人ユゴーは詠った
どこへいくのか、この飛空船は?
船は進む、日光の衣を身に着けて、
神聖で清らかな未来に向かって、美徳へ向かって、
輝き渡る科学へ向かって、
災いの滅びる世界へ、過ちを水に流す寛大な世界へ、
豊かさと、静けさと、笑いと、幸せな人間とが住む世界へ向かって!
船は進む、この輝かしい船は。

権利と理性と友愛とに向かって、
ごまかしも、包み隠しも決して有り得ない、
宗教的で神聖な真理に向かって、
心と心とを優しい絆で結ぶ愛に向かって、
正義と、偉大と、善と、美とへ向かって
―――お分かりだろう、あの船は本当に満天の世界へと昇っていくのだ!


この船は空の高みで、偉大な結婚を成し遂げる。
人類の魂を神に結びつけるともいえる。
計り知れない無限を見て、それに触れるのだ。
この船は空をめざして昇っていく進歩の大きな飛躍。
現実が傲然として神聖な姿で、
人を寄せ付けなかった古代の理想の中へと入っていく姿。

ああ!この船の一歩一歩は無限の世界を征服する!
この船は喜び、この船は平和。人類はその意志の広大無辺な代行者を見つけたのだ。
神聖な簒奪者、祝福された征服者、
この船は空を進み、毎日いっそう遠く、無限の中に分け入らせる。
真の人間が始まる。暗い点のような自分の姿を。

この船は耕す、大空の深淵を。この船は作り上げる、大空に畑を。
大暴風や、冬や、旋風や、すさまじい風の音や、
嘲りの声がそれまでは雑草のようにはびこっていた空にすばらしい畑を。
この船のおかげで、万物の和合が大空で、麦束のように刈り入れられる。
船は進む、神秘な大空の畑を豊かにしながら、
雲の畑を鋤で厳かに耕しながら。

この船は人間の命を、空の畑に芽生えさせる。
神がまだこれまでに、夕日という種しか蒔かず、
夜明けという収穫しかしたことのない畑に。
船は聞く、澄みきった穏やかな空気を裂いて飛んでいくその下で、
今や主権者となった諸国の民衆が、成長しながらざわめくのを、
民衆という広大な麦の穂のざわめきを!

この上もなく素晴らしい不思議な飛行船よ!
ただ進んでいくだけでこの船は、
変えたのだ、地上の嘆きを清らかな喜びの歌に。
若返らせたのだ、衰えた数々の民族を。
打ち立てたのだ、真の秩序を。指し示したのだ、誤りのない道を。
ユゴーは重さを悪だと考えていた。原初の幸福な状態から、被造物が堕落してしまったのは過ちを犯し重さを持ったからだとしている。

人類が重さから解放されて、限りなく光の方へ上昇することこそ、人類が幸福で輝かしい未来へ達する条件である。ゆえに、重力の支配を断ち切って大空高く悠然と舞う飛空船は、ユゴーにとって人類の進歩のこの上ない象徴になる。

物質は悪を宿す。従ってその重さの為に宙に浮かぶことはない。飛空船は悪そのものである物質で出来ている。本来は上昇することのない物質が科学技術(航空技術)によって重力の支配を断ち切り、天高く上昇するのである。これは奇跡そのものであった。

飛空船は人々を世界中のあらゆる所へ運び、諸民族の間の自由な交流を活発にする。相互理解と友情が増進されていく。やがて人類が一つにまとまり、戦争の無い世界共和国が誕生するというのがユゴーの考えであった。

ユゴーは20世紀に理想郷を描いていたのだろう。ところが現実の20世紀は戦争の世紀であった。航空機の技術は戦闘機による空中戦へと展開されていった。空からの爆弾の投下。極めつけは原爆の投下によって地上に地獄絵図を作り出してしまった。前世紀よりも遥かに多くの犠牲者を生み出してしまった。もしもユゴーがこの結果を知れば驚愕するだろう。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

『御本尊七箇相承』は日興上人の言葉とされている。師匠である大聖人から御本尊について教わったことを後世に代々伝える為に、七箇相承という形で残されたということである。

では日興上人は御本尊七箇相承の通りに書写されたのだろうか。それは当然だろう。まさか御本人がこの形式を守らないはずがない。

ところが、気になる書写本尊が幾つか散見されるのだ。実際に見ていきたい。

南無妙法蓮華経の下に『日蓮聖人』

以下は、山梨正法寺に格蔵されている日興上人書写の正応年間、御本尊の座配である。
正法寺格蔵の日興曼荼羅の座配
(興風談所「日興上人御本尊集」より)

御本尊七箇相承には
「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。」
と記述されている。「『日蓮在御判』と嫡々代々と書きなさい」と大聖人が「深秘なり」と仰せなのだ。

ところが、この日興上人書写の御本尊では、南無妙法蓮華経の下に『日蓮聖人』となっているではないか。これはどうしたことだろうか。何とこの他にも日蓮聖人と書かれた御本尊が2体ある(讃岐本門寺に格蔵の正応3年10月18日、宮城上行寺に格蔵の正応5年10月13日)


「仏滅度後二千二百三十余年」の讃文が無い

以下は、新潟世尊寺に格蔵されている日興上人書写の正和三年二月十三日、御本尊の座配である。
新潟世尊寺
(興風談所「日興上人御本尊集」より)

御本尊七箇相承には
「師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曾有の大曼荼羅なりと遊ばさるる儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」
と記述されている。師(=大聖人のこと)曰く、もしもこの讃文を略すことがあれば「大僻見不相伝の至極なり」とまで厳しく訓戒されているのだ。

ところが、この日興上人書写の御本尊では、この「仏滅度後二千二百三十余年の間~」という讃文が略されているのだ。これは一体どういうことなのだろうか。あろうことか日興上人が「大僻見不相伝の至極」の行いをしているのである。

讃文に関しては、この他にも『仏滅度後』ではなく『仏滅後』や『如来滅後』と書いた本尊も散見される。


「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」が無い

以下は、宮城上行寺に格蔵されている日興上人書写の弘安十年十月十三日、御本尊の座配である。
宮城上行寺
(興風談所「日興上人御本尊集」より)

御本尊七箇相承には
「上行無辺行と持国と浄行・安立行と毘沙門との間には・若悩乱者頭破七分・有供養者福過十号と之を書く可し、経中の明文等心に任す可きか」
と記述されている。

ところが、この日興上人書写の御本尊で、両肩の部分には「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」という文章がどこにも存在しない。「経中の明文等心に任す可きか」の御指南に反しているではないか。


御本尊七箇相承は果たして

日興上人は、大聖人の教えを誰よりも厳格に貫かれた方である。もしも大聖人が御本尊書写に関して『御本尊七箇相承』のようなルールを作られていたのならば、それを一つも漏れずに全ての御本尊書写に於いて厳守されたはずである。

だが実際にはそうされていないことから、日興上人の時代には御本尊七箇相承のようなルールは存在しなかったと判断すべきだ。つまり日興上人の言葉でも何でもない後世に創作された相伝書であろう。

宗門の歴代法主は、全てが戒壇本尊というただ一つの本尊を、その戒壇本尊の相貌を書写したとされている。そして、法主が書写する際の指南書ともいうべき重書が『御本尊七箇相承』である。この書には御本尊を書写する際の七箇の要点が示されている。

ところが、この御本尊七箇相承の通りの相貌になってない本尊がある。何と根本である戒壇本尊なのだ。

以下の画像は弘安2年戒壇本尊の座配である
弘安2年戒壇本尊の座配
(柳澤宏道『石山本尊の研究』から)


「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」が無い

御本尊七箇相承には
「上行無辺行と持国と浄行・安立行と毘沙門との間には・若悩乱者頭破七分・有供養者福過十号と之を書く可し、経中の明文等心に任す可きか」
と記述されている。

だが、根本である戒壇本尊には両肩の部分には「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」という文章がどこにも存在しない。「経中の明文等心に任す可きか」の御指南に反しているではないか。


「仏滅度後二千二百三十余年」の讃文

御本尊七箇相承には
「師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曾有の大曼荼羅なりと遊ばさるる儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」
と記述されている。

ところが、根本であるはずの戒壇本尊を見ると「仏滅後二千二百二十余年」となっているではないか。この十年の差異は何なのだ。


どちらが間違っているのか

これらの相違は一体どういうことなのだろうか。

御本尊七箇相承の記載が間違っているのだろうか。それとも戒壇本尊が間違っているのだろうか。しかし戒壇本尊は大聖人の御真筆を有りの侭に模刻したという伝承だったはずだ。

私もかつては幾度も大石寺に登山をして、戒壇本尊に御祈念してきただけに、このような事実を知りショックは大きい。一人の信仰者として真実を求めていきたい。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

これまでに幾度となく指摘してきたが、会則変更以降の創価の教義は矛盾が酷過ぎる。まさに自語相違そのものだ。このまま曖昧な状態を続けるのは会員の人達に対して失礼ではないか。やはり矛盾の部分を訂正すべきだろう。

創価の取るべき道は、以下の二つの内どちらかだろう

「永遠の師匠」の指導が誤りとする

常に大御本尊を根本にしてきた教義が間違いであったと認める。それは、創価が今まで行ってきた過去の『永遠の師匠』の指導が間違っていたと認めることにもなる。
既に創価は
「御書には弘安2年の本尊が出世の本懐であるとか、この本尊を根本とせよとかの説示はない」
との見解を示しているのだから、更にもう一歩踏み込んで「今までの永遠の師匠の指導が間違っていました」と過去の指導を否定するべきだ。加えて、日寛師や宗門の書写本尊を用いることをやめ、独自の本尊を用意すれば良い。そのようにすれば矛盾は解消される。

会則変更を元に戻す

それとも「2014年の会則変更が間違っていました」と謝罪し撤回するか。従来通りの「大御本尊を受持の対象にする」ように戻す。同時に、大聖人の出世の本懐に関して、大御本尊を図顕したことを昔のように明記する。このようにすれば過去の指導・実践との矛盾は解消される。



創価がどちらを選択しても自由であるが、兎も角も矛盾のない状態にするべきだろう。会員の人達の為に




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


大石寺第26世である日寛師が書写した本尊のベースは戒壇本尊とされている。
法華取要抄文段の中で
「 広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり」
と書写本尊は枝流であり、戒壇本尊こそが根源であると言い切っている。

日寛師は、大石寺系で、戒壇本尊が根源であると言い出した原点の人である。その書写本尊を使用するのならば、その根源である戒壇本尊を「受持の対象にする」のが大前提であろう。

日蓮仏法は「受持即観心」の法理であるから、受持とは「信受する」「信じる対象とする」ということである。

ところが創価は2014年の会則変更で突然、戒壇本尊を「受持の対象としない」と言い出した。つまり「信受の対象にはしない」ということである。しかし、日寛師の書写本尊は今まで通り使い続けるという。

根源である戒壇本尊を信受の対象から外しておいて、その枝流である書写本尊だけを使用し続けるというのは、誰がどう見ても筋が通って無いだろう。明らかに日寛師の教学に反する行為である。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

↑このページのトップヘ